今月の切手カテゴリーの記事

電話創業75年記念(1965年)
電話創業75年記念(1965年)
電話創業75年記念(1965年)

12月16日は電話創業の日。1890(明治23)年のこの日、東京と横浜に電話局が設置され、電話事業が開始された。当時の電話は交換手が手動で通話先に繋ぐもので、開業当初から女性を交換手に採用していた。以後、電話交換手は女性の憧れの職業となり、また社会進出の象徴ともなっていく。切手は1965年の12月16日に発行。この頃にしては珍しく、ピンクと紫の強い配色を用いている。図案はダイヤルの中に創業当時の電話交換室を描いているが、この切手が発行されてから50年。そろそろ、「ダイヤルとは何ぞや」という、環状に数字が配置された文字盤についての説明も必要になってくる時期かもしれない。

関門橋開通記念(1973年)
関門橋開通記念(1973年)
関門橋開通記念(1973年)

山口県の下関と福岡県の北九州の間に横たわる関門海峡は、長さ約25km、幅は最狭部約700mと、非常に狭い海峡だ。この海峡を前にして、本州と九州を直結させようという計画は、すでに明治の頃から考えられていた。大正時代には関門隧道計画が立案されて鉄道院の地質調査が始まり、昭和初期には内務省土木局によって大架橋が計画された。これは、関門海峡の最狭部「早鞆の瀬戸」と呼ばれる部分に吊り橋を架けるものであったが、軍部の反対に会い立ち消えになった。敵の攻撃目標になりやすい橋より、トンネルの方が軍事上有益というわけだ。
関門トンネルの開通は戦時色が強まった1942(昭和17)年。関門海峡に橋が架かるのは、遅れること約30年、やっと1973(昭和48)年になってからだ。その規模は、戦前に計画された幻の吊り橋とほぼ同じであるという。
瀬戸大橋や明石大橋、レインボーブリッジなどの現代の巨大橋は、後世の史家から平和な時代の象徴のように語られることだろう。

東京天文台岡山天体物理観測所開所記念(1960年)
東京天文台岡山天体物理観測所開所記念(1960年)
東京天文台岡山天体物理観測所開所記念(1960年)

1953(昭和28)年、日本学術会議で大型望遠鏡の必要が決議されたのを発端として、1960(昭和35)年、岡山県浅口市の竹林寺山頂に、アジア最大級の口径188cm反射望遠鏡を備えた天文台が開所された。この切手は10月19日の開所式にあわせて発行されたもの。
当時、日本最大の望遠鏡は東京天文台の66cmだったので、この望遠鏡が与えたインパクトは大きく、部品が竹林寺山へ輸送されるのを見た少年が、後に天文学者になったほどだったと同観測所サイトは記している。
現在、日本の望遠鏡はハワイにあるすばる望遠鏡(口径8.2m)が最大であるが、岡山天体物理観測所でも京都大学などと連携して、新たな3.8m新技術天体望遠鏡の建設が進んでいる。来年3月以降に試験観測が開始され、アジアから宇宙を観測する大きな「目」になる予定だ。

がん征圧運動(1966年)
がん征圧運動(1966年)
がん征圧運動(1966年)

デザインの類似がとかく問題になっている昨今であるが、切手にも似たような話がある。「国際がん会議」などを記念して、1966(昭和41)年10月21日に発行された「がん征圧運動」切手は、国民のがんに対する関心を高めるため、図案を公募して行われた。ところが、採用作がアメリカのデザイナーの作品に似ていることが判明し、これを取り消した。そして、入選4点の中から再度選び直したところ、今度はこれがフィンランドのデザイナーの作品と類似していた。そこで佳作作品も含めて、改めて審査し直すことになり、コバルト照射器を題材としたものに決定したところが、これが特定メーカーのコバルト照射器だったため、業界から異議が出され、結局図柄を変えて、架空のコバルト照射器として落着した(以上、東京堂書店『日本切手辞典』より)。これだけ騒ぎになったものの、切手そのものの売れ行きは思わしくなく、翌年1月まで大がかりなキャンペーンをやって売り切ったという。

ウナギ(1966年)
ウナギ(1966年・第6次魚介シリーズ)
ウナギ(1966年・第6次魚介シリーズ)

1966(昭和41)年8月1日に第6次魚介シリーズとして発行。実際のウナギの旬は脂がのる秋から初冬だが、切手は夏の風物を意識してか8月に発売されている。なお、この頃の日本人1人あたりのウナギ消費量は0.9匹。それが2000年には8.3匹にもなる。一方、切手が発行された1966年に150トンあった日本のシラスウナギの漁獲量は、70年代に急降下して100トン以下となり、2010年代になると10トンを割り込むようになった。ウナギの7割は日本人が消費している。ウナギの種としての存続の危機は、日本人が、この完全養殖ができない生物種を、無理矢理、ほかの肉や野菜、果物などと同様の大量生産大量消費のラインに乗せてしまったことが原因なのだろう。