今月の切手カテゴリーの記事

中尊寺金色堂(1968年)
中尊寺金色堂(1968年)
中尊寺金色堂(1968年)

1968(昭和43)年5月1日に普通切手として発行された。堂の内外に金箔が押された金色堂のイメージを限られたスペースの中で伝えるべく、金色を用いたり、地に光の反射を思わせるグラデーションを入れたりと、工夫したあとがうかがえる。
普通切手は記念切手とは異なり、郵便物の料金体系に合わせて設定され、常時発売されている切手なのだが、それでも図柄が何らかの催しと連動することはある。この切手が発売されたまさにその日は、中尊寺金色堂の「昭和の大修理」が終わり、落慶法要が執り行われる日であった。
1962(昭和37)年から行われた「昭和の大修理」は、痛みがかなり進んでいた金色堂を解体修理し、平安時代の「七宝荘厳の極楽浄土」の姿を蘇らせるというプロジェクトだった。その結果、金箔や螺鈿細工によるきらびやかな姿が復活した。
今年は大修理から50年。中尊寺では50年記念のシンポジウムや藤原四代公追善法要が営まれた。

切手趣味週間(1965年)
切手趣味週間「序の舞」(1965年)
切手趣味週間「序の舞」(1965年)

4月は切手趣味週間なので、絵画などの美術作品を題材にした記念切手が多く見られる。1965(昭和40)年4月20日に発行された切手は、上村松園(1875-1949)作の「序の舞」を図案としている。切手サイズも3.5cm×5.0cmと大型で、気品を感じさせる出来映えだ。
絵画の「序の舞」は、1936(昭和11)年の文展招待展に出品され、東京美術学校(現・東京藝術大学)の収蔵となった。〈近代美人画の最高傑作〉(東京藝大サイトより)との呼び声がある作品だが、近年、絵具の剥落などが見られ、展示することがままならなかったという。そのため、2015(平成27)年から本格修理を行い、今春、東京藝術大学大学美術館の「東西美人画の名作」展で、修理完成記念の一般公開が行われている。同展は2018年5月6日まで。

札幌オリンピック冬季大会記念(1972年)
札幌オリンピック冬季大会記念(1972年)
札幌オリンピック冬季大会記念(1972年)

1972年2月3日、アジア初の冬季五輪が札幌で開幕した。日本人選手は70m級ジャンプで金銀銅を独占して話題をまいたが、日本のメダルはこの3つだけだった。この大会は、五輪史上初めて、商業主義進出の問題が話題になったことでも知られる。IOCの会長は「このままではオリンピックの規模が拡大し、経費の増大と商業主義の介入を招き『オリンピック精神』が消滅する」と指摘した。なんだか今と同じ委員会の言葉とは思えないが。
その開幕日に記念切手3種が発行された。これは、天地が向かい合わせになったテート・ベッシュと呼ばれるもので、シート単位で見るとじつに落ち着きがない。日本ではこの時初めて採用されたタイプだが、以後は採用されていない。

冬げしき(1980年)
日本の歌シリーズ第3集「冬げしき」
日本の歌シリーズ第3集「冬げしき」

童謡や唱歌をテーマにした日本の歌シリーズの第3集として、1980(昭和55)年1月28日に発行された切手。「冬げしき」は1913(大正2)年に発表された文部省唱歌で、図案は歌詞の1番に歌われている港の朝を描く。
筆者は小学校の音楽の授業で歌った覚えがあるが、唱歌の歌詞というのは小学生にとっては「古語」で、「げに小春日ののどけしや」の「げに」など、普段口にしたこともない言葉なので、合唱しているとどうしても「ゲェーーに」ときたない発声になってしまい、音楽の先生がおかんむりだったことを思い出す(ふざけるのが好きな年頃だからみんなでわざとやっていたところもあるのだが…)。

国立科学博物館100年記念(1977年)
国立科学博物館100年記念(1977年)
国立科学博物館100年記念(1977年)

東京・上野公園の国立科学博物館は、上野に文部省による東京博物館(教育博物館)の新施設が一部竣工した1877(明治10)年をもって創立年としている。もっともそのあと、上野から湯島に移され、さらに権限を縮小されて高等師範学校の付属施設に格下げとなり、やっと付属施設から独立したと思ったら、関東大震災で全施設・標本を失うという悲劇にも見舞われている。
ふたたび上野に戻ってきたのは1931(昭和6)年。この時、上野新館(現・日本館)が竣工し、昭和天皇・皇后臨席で開館式が挙行された。この11月2日をもって開館記念日としている。つまり、創立年と開館記念日との間に50年以上ものずれがあるのである。
切手の図案は日本館とフタバスズキリュウの復元骨格。1968(昭和43)年に、国内初の首長竜化石として発見された個体が、同博物館の顔になっていたことがよくわかる。