月刊コラムカテゴリーの記事

冬げしき(1980年)
日本の歌シリーズ第3集「冬げしき」
日本の歌シリーズ第3集「冬げしき」

童謡や唱歌をテーマにした日本の歌シリーズの第3集として、1980(昭和55)年1月28日に発行された切手。「冬げしき」は1913(大正2)年に発表された文部省唱歌で、図案は歌詞の1番に歌われている港の朝を描く。
筆者は小学校の音楽の授業で歌った覚えがあるが、唱歌の歌詞というのは小学生にとっては「古語」で、「げに小春日ののどけしや」の「げに」など、普段口にしたこともない言葉なので、合唱しているとどうしても「ゲェーーに」ときたない発声になってしまい、音楽の先生がおかんむりだったことを思い出す(ふざけるのが好きな年頃だからみんなでわざとやっていたところもあるのだが…)。

国立科学博物館100年記念(1977年)
国立科学博物館100年記念(1977年)
国立科学博物館100年記念(1977年)

東京・上野公園の国立科学博物館は、上野に文部省による東京博物館(教育博物館)の新施設が一部竣工した1877(明治10)年をもって創立年としている。もっともそのあと、上野から湯島に移され、さらに権限を縮小されて高等師範学校の付属施設に格下げとなり、やっと付属施設から独立したと思ったら、関東大震災で全施設・標本を失うという悲劇にも見舞われている。
ふたたび上野に戻ってきたのは1931(昭和6)年。この時、上野新館(現・日本館)が竣工し、昭和天皇・皇后臨席で開館式が挙行された。この11月2日をもって開館記念日としている。つまり、創立年と開館記念日との間に50年以上ものずれがあるのである。
切手の図案は日本館とフタバスズキリュウの復元骨格。1968(昭和43)年に、国内初の首長竜化石として発見された個体が、同博物館の顔になっていたことがよくわかる。

天竜奥三河国定公園(1973年)
天竜奥三河国定公園(1973年)
天竜奥三河国定公園(1973年)

国定公園を題材として1958(昭和33)年より発行されているシリーズ。写真は1973(昭和48)年9月18日発行。左上に描かれた鳥はコノハズク。鳴き声のブッポウソウを、仏法僧(仏、仏の説いた法、それを行ずる僧)と聞きなし、霊山・鳳来寺山の名物とされている。ただ、生息状況の実態ははっきりせず、鳳来寺山自然科学博物館の調査でも奥三河地方でわずかに確認されただけだった。
現在では、「コノハ君」なるキャラクターが鳳来寺山自然科学博物館の周辺に時折出没するという。

首都高速道路開通記念(1964年)
首都高速道路開通記念(1964年)
首都高速道路開通記念(1964年)

1964(昭和39)年8月1日に発行された、首都高速道路の開通を記念した切手。首都高は、10月の東京オリンピックに向けて数年前から建設が進んでいた。図案は、現在、景観面から首都高の地下化を求める声がある日本橋付近。その当時から首都高の象徴的な場所だったことがわかる。
こんな景観になったそもそもは、用地買収が不要なことから、首都高敷地として河川が積極的に利用されたことによる。1959(昭和34)年決定の都市計画では、首都高敷地の約35%が河川だった。
件の日本橋、2017年7月に国交相が首都高の地下化検討を表明した。但し、着手は早くても2020年の東京オリンピック以降となるそうだ。

沖縄国際海洋博覧会記念(1975年)
沖縄国際海洋博覧会記念(1975年)
沖縄国際海洋博覧会記念(1975年)

1975(昭和50)年7月、沖縄の祖国復帰記念事業として開催された国際博覧会を記念して発行された切手。地球をイメージしたマークに、洋上を飛ぶトビウオとアクアポリス(切手の中央やや左の構造物)を描く。
アクアポリスは未来の海上都市をイメージした施設で、一辺100m、高さ32m、収容人員2400人を誇った海上実験都市で、同博覧会のシンボル的な施設でもあった。翌76年1月の博覧会終了後も観光施設として海に浮かんでいたが、90年代に閉鎖。2000(平成12)年に売却されスクラップになってしまった。
だが、博覧会跡地自体は公園として整備され、沖縄美ら海水族館、海洋文化館、おきなわ郷土村、熱帯ドリームセンターなどがある人気スポットになっている。