[感想後記]焦げたコメが解き明かす、おにぎりの歴史—横浜市歴史博物館「大おにぎり展」

横浜市歴史博物館「大おにぎり展」

おにぎりと言えば、家庭の味として、あるいは手軽なファストフードとして馴染みがあるが、その歴史についてはあまり語られてこなかったように思う。
横浜市歴史博物館(横浜市都筑区)では、同市にある古墳時代の竪穴住居遺跡から出土した、おにぎり状の炭化物を手がかりに、おにぎりの歴史を解き明かす企画展「大おにぎり展—出土資料からみた穀物の歴史—」を開催中だ(会期2014年10月11日〜11月24日)。


横浜市歴史博物館「大おにぎり展」

入ってすぐ、左手に巨大なおにぎりが目に入ったので、吸い込まれるようにそのコーナーへ。1885(明治18)年の我が国における駅弁第1号の再現模型だというが、それにしても手前のおにぎりと比べてずいぶん大きい。かつて日本では1食に米飯2合(ただし、おかずはほとんどなし)を食べていたというが、このおにぎりは一体何合炊いたのだろうか。(のちに博物館の人にうかがったところ、この模型はオーバースケールということであった)

しばらく進んで、この巨大おにぎりに気をとられて順路を逆走していたことに気がついた。正規の順路は入って右手へ。まず、本題のおにぎりに入る前に、植物質遺物についての概観がある。

横浜市歴史博物館「大おにぎり展」

植物質遺物の発掘は1970年代後半から急増したという。これはこの時代に低湿地の大規模開発が行われたことにちなむ。水に浸かっていたために酸素が遮断され、有機物でも腐らずに発掘されたという。

低湿地ではなく、台地にある遺跡では、植物は分解されてしまうため、炭化でもしていない限り発掘されない。工場用地あるいは宅地として、1970年代後半以降にさかんに行われた低湿地の大規模開発が、このような形で発掘物にまで影響を与えているとは意外だった。

横浜市歴史博物館「大おにぎり展」

コメが登場する以前には、クルミやトチ、クリなどがメインになる。そしてそれらを加工したクッキー状炭化物、いわゆる「縄文クッキー」が登場する。
縄文時代のクッキー状炭化物は約30遺跡から出土しているそうだ。ほとんどがドングリなどだが、なかにはクルミをつかったものや、エゴマを固めたものもある。

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ついで、土器に残されたコクゾウムシの圧痕の展示(写真はコクゾウムシ圧痕の拡大模型)。

コクゾウムシは貯めてあるコメを食べるので、縄文遺跡からみつかった場合、その時代にコメが存在した証拠とされてきた。だが、大陸での稲作開始以前の縄文時代早期の土器からもコクゾウムシがみつかり、またコメ以外のものも食べることから、最近では稲作の証拠にはならなくなったという。稲作到来の時期についてはまだ議論が続きそうだ。

さて、第2コーナーを回ったところで稲作の時代に突入し、これでもかというぐらい炭化米が出てくる。しかし、一見コメの塊でも、おにぎりかどうか見極める必要がある。つまり、ただのコメの塊なのか、おにぎりなのかを見抜かなければならない。

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奈良県の唐古・鍵遺跡(弥生時代前期)から出土した炭化米は籾の状態で、しかも粒の方向がそろっていることから、稲穂の状態で炭化したとわかる(写真)。

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しかし、横浜市の北川表の上遺跡(古墳時代後期・6世紀前半)から出土した炭化米塊(写真)は、極めておにぎり度が高いとみられている。即ち、CTスキャンにかけた結果、内側の種子は粒状であったのに対し、底面では粒がつぶれており、コメが柔らかい調理後の状態にあった。さらに米塊は8つのブロックに分かれているが、割れ目近くで粒が密集する傾向にあることから、元々いくつかのブロックに分かれていた可能性が高いという。

横浜市歴史博物館「大おにぎり展」

隣に再現模型があった(写真)。大きなおにぎり8つ相当である。何食分だろうか?

横浜市歴史博物館「大おにぎり展」

また、具が入っているなど、意図して握ったことがわかるものは明らかにおにぎりといえるだろう。中に銭が入ったものも展示されていた(写真)。村を追い出される恋人のために、路銀を入れたおにぎりをわたして…などというシーンが時代小説にあったよな——と思ったら、そのすぐ隣に針入り(!)のおにぎりがある(下の写真)。一転してこれは事件の予感である。まるで中世の家庭の闇(?)を見ているようだ。

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もっとも、あとで展覧会図録を見たら、これらは中世の火葬墓から出土したという。銭入りのおにぎりは、死者に六文銭を持たせるような葬送の儀礼だったのだろう。針の方は意図はわからないが、当時はそういう儀礼もあったのかもしれない。

横浜市歴史博物館「大おにぎり展」

圧巻なのは、歴史の現場にいたおにぎりたちだ。一向一揆の「山科本願寺の戦い」(1532年=天文元)のおにぎり。「御館の乱」(上杉景勝vs景虎・1579年=天正7)の現場にいたおにぎり(写真)が登場する。

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関ヶ原の戦いの前哨戦である「伏見城の戦い」(1600年=慶長5)に参戦していたおにぎり(写真)なども、次々と列をなして現れ、「その時、おにぎりが動いた」とか「おにぎりは見た!」というタイトルでドキュメンタリーが撮れそうである。

横浜市歴史博物館「大おにぎり展」

企画展会場にはこのほか、炭化したあれこれが並ぶ。もち米の入ったチマキタイプや玄米タイプ、串をさした五平餅タイプ、中に梅干し入りのタイプなどもある。
写真はトウモロコシ。伏見城城下町で出土という近世のもので、大きさはベビーコーンよりやや大きい。もう渡来していたのかと驚いたが、どうやって食べていたのかも気になるところ。

展示品の多くは、要するに黒焦げのおにぎりなわけだが、これを実験的に再現するのには意外に難しいこともわかったという。実験では、表が黒焦げでも内部に水分が残っているケースが多く、その場合はすぐ腐ってしまう。

この検証はまだ開始されたばかりだが、どういう条件下でこのようなおにぎりになるのかがわかれば、そのおにぎりの出自(具材の有無とか)や末路(おにぎりやおにぎりのあった場所がどんな最期を迎えたのか)がわかるようになるかもしれない。

横浜市歴史博物館「大おにぎり展」

後半はコメの煮炊き(調理技術)についての展示。弥生時代の土器に残されたコゲから調理法を推測したところ、コメの粘りをとってパサパサにしていた可能性があるという。これは東南アジア的な食べ方で、となるとご飯は箸では挟めない。『魏志倭人伝』には、倭人は手づかみで食べていたとの記述がある。

では、「お米はいつパサパサからもちもちになったのか?」——たしかにこれはおにぎりを考える上で、重要なポイントである。展示パネルによれば、古墳時代後期以降、粘りの強い品種に交替したという説があるらしい。

横浜市歴史博物館「大おにぎり展」

だが、調理器具のターニングポイントは中世だ。古代末〜中世になると、鉄製品をまねた土製の釜や鍋が登場したという。土鍋+コメ、これはまさに日本的なコメの炊き方だ。もしかして、日本人はこの時初めて箸でコメを食べたのだろうか。

上の写真は15世紀の土製の釜。一見地味な出土品だが、今日の我々がもつコメにまつわるアイデンティティは(弥生時代の稲作というよりはむしろ)パサパサからもちもちへの移行を決定づけた、この土製の釜の普及がもたらしたものなのかもしれない。

横浜市歴史博物館「大おにぎり展」

この企画展に展示されている物は、きらびやかな装飾品もなければ、巨大な復元展示もない。真っ黒で地味な資料(「大おにぎり展」図録の館長あいさつより)のオンパレードである。だが、「パサパサからもちもち」とか「コメの塊とおにぎりの違い」といった切り口から、地味な出土品がさまざまなヒントを語りかけてきてくれる。

そのような点を意識して見ていくと、あたかも、出土品が突然、饒舌に語り始めるような、そんな瞬間に立ち会える。それが、この企画展の何よりのおもしろさだろう。

横浜市歴史博物館「大おにぎり展」

なお、企画展のチラシをおにぎり型に折って持って行くと、観覧料が割引になる。
博物館の受付でチラシをもらい、その場で折ってもOKだ(折り方はチラシに書いてある)。常設展との共通券の場合、大人通常500円が400円になる。

企画展を見た帰り道、その浮いた100円でコンビニのおにぎりを買い、あらためて噛みしめてみるのもいい。舌の上には、一体どんな感慨が広がるだろうか。

おにぎり
横浜市歴史博物館「大おにぎり展」
住所 神奈川県横浜市都筑区中川中央1-18-1
TEL 045-912-7777
会期 2014年10月11日〜11月24日
開館時間 9:00〜17:00
休館日 月曜日(10/13、11/3、24は開館し翌日休館)
入館料 大人300円(500円)、高〜大学生200円(300円)、小中学生100円(150円)※()は常設展共通券
交通 横浜市営地下鉄センター北駅より徒歩5分