日本三大がっかりスポットの雄[はりまや橋]

 三大がっかりスポットというのがある。札幌の「時計台」と高知の「はりまや橋」と、あとひとつどこだっけ?
 ともかく、その「はりまや橋」である。江戸時代からヨサコイ節にも唄われ、高知一番の繁華街だったという名所であるが、実際には、長さ20mほどのコンクリート製の橋の欄干(下の写真)があるだけで、川も埋め立てられていて、行った人は皆がっかり……

というわけで「三大がっかりスポット」などといった名称を奉られている。

 これは何も筆者がことさら高知を貶めようと浮説を流しているのではなく、当の高知市自身が自らのホームページに昔は高知城の堀川にかかった本当の橋だったのですが、川はなくなって久しく「日本三大がっかり」の一つと言われたりしていましたと書いているぐらいだから自他共に認めるがっかりさなのである。

 現地に足を運ぶと、片側2車線の道路が走り、歩道との間を仕切る欄干だけが「橋」の名残を思わせる。

 さすがにこれだけではと思ったのか、1993(平成5)年に周辺を「はりまや橋公園」として整備している。
 現在の橋(道路)の東側に江戸時代をイメージした「はりまや橋」(この記事の一番上、赤い欄干の橋の写真)を、西側に明治時代の頃の「はりまや橋」(下の写真。緑の欄干の橋)を再現展示ならぬ再現架橋したのだ。

 川があった部分は親水公園風に仕立てられ、涼しげな水面に鉢植えの植物が揺れる。
 「坊さんかんざしの像」や由来書のプレートもとりつけられており、「これで少しはがっかり度が薄まったかな?」と施工現場で腕組みをしながら考え込んでいる高知市の担当者の姿が目に浮かぶようである。

 しかし、再現された橋を見ても、建築学的にも視覚的にも観光地的にもとくに瞠目すべき点はない。

 が、なくて当たり前なのだ。そもそも「はりまや橋」は、播磨屋さんが架けた私設の橋なのだから。

 播磨屋は名の通り、播州飾磨の出で、藩主御目見得の特権を持つ豪商だった。その播磨屋の初代宗徳が、江戸時代初めに、堀をはさんで向かいにある櫃屋(ひつや)との行き来のために架橋したという。櫃屋も同様な特権を持つ豪商だったので、あれやこれやと相談事があったのだろう。
 のち公橋となり、1827(文政10)年には橋の上での小商いが許可され大いに賑わったというが、もともとプライベートな用向きのために造った橋なのだから過剰な期待を求めるのは酷というものだ。

 「はりまや橋」の近くを彷徨すると大丸デパートに行きあたった。見上げると、その本館と東館とをつなぐ連絡通路が道路をまたいでいた。ぼんやり眺めていて、はたと気が付いた。

 道路をまたぐ私設の橋——江戸時代の初め、「はりまや橋」とはまさにこの連絡通路のような存在であったに違いない。

 もし、こののち、高知大丸が奮起して、「高知大丸に行かずんば人にあらず」のような栄華を極めたとしたら、数世紀のちの我らの子孫が、高知大丸の跡地に来て「なんだ、つまらん」とがっかりして帰る——そんなことも起こりうるわけである。
 これが歴史の恐ろしさ(?)なのかもしれない。

はりまや橋
住所 高知県高知市はりまや町1丁目
通行 自由
交通 JR土讃本線高知駅より徒歩15分、または土佐電鉄電停はりまや橋下車すぐ