[Topics]突撃!博物館の晩ごはん

近年の博物館展示は、生活のディテールを細かく再現しているものが多い。「食」もその例外ではない。晩ごはんや晩餐など、さまざまな時代の晩ごはんを、タイムマシンに乗るように、のぞきに行くこともできるのだ!

足立区立郷土博物館

足立区立郷土博物館

コロッケ、キャベツの千切り、たくあん、ほうれんそうのおひたし、豆腐とネギの味噌汁、ご飯……。これでも、れっきとした博物館の展示品だ。

農村地帯だった足立区は、戦後になって住宅都市に変貌した。同時に生活もかわる。自営や農業がメインだったのに対して、勤め人(サラリーマン)が増える。奥さんも内職する(パートはまだ主流ではない)。時間の節約から、できあえの惣菜を売る店のニーズが高まる。で、お惣菜(ここではコロッケ)を買ってきて夕飯にするようになる。そういう文脈でのコロッケ展示なのだ。

足立区立郷土博物館
時代 昭和30年代
世帯 サラリーマン家庭
状況 ふだんの夕食
メインディッシュ コロッケ
場所 東京都足立区

岐阜市歴史博物館

岐阜市歴史博物館

こちらは「信長の料理」。

堺の商人・津田宗及の記録をもとにしたもので、焼いたフナを煮付けたもの、白魚の吸い物、雉肉の焼き鳥、サケの塩引き、白鳥の汁ものなどが並ぶ。

さっぱりした感じでまとまっているところなど、まるで和風旅館の朝食のようだが、じつはこの時代、醤油はまだ発明されていなかった。今日的な感覚からすると、醤油のない日本など想像しづらいが、まだ信長の時代は、刺身は酢で食べたらしい。

岐阜市歴史博物館
時代 16世紀
世帯 戦国大名・文化人ほか
状況 歓送迎会
メインディッシュ フナの煮付け、雉肉、塩引きサケなど
場所 岐阜県

新宿歴史博物館

新宿歴史博物館

昭和10年代のサラリーマン宅にお邪魔した。時期は3月。蛤の吸い物にちらし寿司がある。ということは、ひな祭りの祝いの食卓だろう。タケノコの煮物なども見える。

新宿歴史博物館
時代 昭和10年代
世帯 サラリーマン
状況 夕食
メインディッシュ ちらし寿司
場所 東京都新宿区

愛媛県立歴史文化博物館

愛媛県立歴史文化博物館

昭和初期の愛媛県山間部での食事。主食は麦飯で丸麦とコメの比率は7:3。おかずはカボチャといりこの煮物。ほかにたくあんの漬物、大根・サトイモ・ネギの味噌汁。

ラップがかかっているので、「ご飯はつくっておきましたから、チンして下さい」みたいになっているが、誤解されては困ると思ったのだろう、脇に「昭和初期には食品保存用のラップは販売されていませんでしたが、展示物保護のためにラップを使用しております」と丁寧な注釈が書かれていた。

愛媛県立歴史文化博物館
時代 昭和初期
世帯 農林業
状況 夕食
メインディッシュ カボチャの煮物
場所 愛媛県山間部

北区飛鳥山博物館

北区飛鳥山博物館

東京・北区にある飛鳥山は江戸時代の桜の名所。なので当地に建つ飛鳥山博物館では、江戸時代の花見のお重のメニューが再現されている(これは晩餐ではなく、昼の祝膳かもしれないが)。

おにぎりとつくし、よめな、カヤの実、玉子、かまぼこ、鮎、ぎんなんと竹の子、むしがれい、干し大根、桜鯛など。(江戸時代なので当たり前なのだが)肉類がなくてヘルシー&消化が良さそうだ。

北区飛鳥山博物館
時代 江戸時代
世帯 裕福な商人か?
状況 祝膳
メインディッシュ 桜鯛、むしがれい,玉子など
場所 東京都

長野県立歴史館

長野県立歴史館

さて、次なる時代へ行こう。いったいこの貧相な食事は何だ?よっぽど昔の食事に違いない、と思うかもしれない。

だが、これは明治末年の女工の夕食だ。さっきの江戸時代がハレの日の祝い膳とはいえ、えらい違いだ。おかずがほとんどないので、ご飯(米や麦)をガーッと食べないと身体が持たなかったろう。わずかなおかずでご飯を大量に食べるという食事のスタイルは、江戸時代や昭和30年代にも見られた。

長野県立歴史館
時代 明治末年
世帯 工業労働者(製糸工場女工)
状況 単身者の寮での食事
メインディッシュ 焼き魚少々と汁物
場所 長野県

内子町歴史民俗資料館

内子町歴史民俗資料館

これは大正10年頃。朝食だが、食事風景の参考に。

ご飯、大根の味噌汁、漬け物と至って質素だ。写真の手前に使用人の膳があり、よくみると、家族は白米、使用人は麦飯を食べている。ちなみに使用人は家族とは異なり、畳から外れた板の間で食事をする。こんなところにも厳とした差があるのだ。

また、各人が箱膳で食べているのもこの頃の特徴だ。

内子町歴史民俗資料館
時代 1921(大正10)年頃
世帯 薬商
状況 家族と使用人の朝食
メインディッシュ 漬け物、汁物
場所 愛媛県内子町

埼玉県立歴史と民俗の博物館

埼玉県立歴史と民俗の博物館

日本の伝統的食事風景というと「ちゃぶ台」と思われがちだが、ちゃぶ台は日本では明治以降に出現した。

各家庭に普及した時期は大正以降とも昭和30年以降とも言われ、文献により差があるが、それまでは先ほどの箱膳が用いられていた。

昭和30年以降説を採れば、人間に例えれば、ようやくこれから年金をもらおうかという歳だ。というわけで、ちゃぶ台は意外と若いのである。時代小説家の藤沢周平は回顧録で「私も昔は不勉強で(江戸時代の小説に)ちゃぶ台などを出してしまって」と書いていた。

埼玉県立歴史と民俗の博物館
時代 昭和30年頃か?
世帯 一般
状況 ちゃぶ台を用いた食事風景のイメージ
メインディッシュ 野菜の煮物、汁物
場所 埼玉県

日本郵船氷川丸

日本郵船氷川丸

こちらは横浜・山下公園に浮かぶ豪華客船・氷川丸のディナー。1937(昭和12)年に秩父宮が乗船した際のメイン料理とデザートの再現。羊や野鴨のロースト、オニオンのクリームあえなど。

再現料理には出ていないが、メニューのアントレ(前菜)に「白鳥のバター焼き青トウモロコシ添え」とある。さっき、信長の料理(岐阜市歴史博物館)にも白鳥の汁ものがあった。

今日、飛来する白鳥を見て「旨そうだ」と思う人は多くないと思われるが、いったい白鳥はいつぐらいまで食べられていたのだろうか?

日本郵船氷川丸
時代 1937(昭和12)年
世帯 皇族・賓客
状況 歓送迎会
メインディッシュ 羊や野鴨のロースト
場所 洋上

札幌市時計台

晩餐会料理の再現展示@札幌市時計台

札幌市時計台の展示室では、開拓使時代の食生活の一例として、札幌農学校教師として招かれたウィリアム・ブルックス着任の晩餐会料理が再現されている。ブルックスはクラークの後任として、1877(明治10)年に来日した。

メインのローストは、白鳥と鹿。と、ここでも白鳥に出会う。そして、おのおのインゲンやトマトとイモ(ジャガイモか?)が添えられている。魚料理としてはタラが出され、明治初期にあって、見事な洋食になっている。

なお、農学校生徒の寄宿舎での夕食は「パン、バター、肉魚のたぐい2品。一日おきにライスカレー」(明治14年)だったそうだ。カレーライスの万能っぷりはこの頃から際立っていたのだ。

札幌市時計台
時代 1877(明治10)年
世帯 招聘教官・学校関係者
状況 歓送迎会
メインディッシュ 白鳥と鹿のロースト
場所 北海道札幌

このように、あるテーマを決めて、複数の館の展示をチェックしていくと、おのずと古今東西さまざまな時代を横断することになる。

とくに「食」というのは日常に直結しているだけに、異なる時代の食生活への思いも馳せやすい。こういう展示を自分なりの方法でストックしていけば、歴史小説やドラマ、あるいは食に関係する本にふれたとき、一種のリアリティを持って接することができるだろう。

これは、歴史を出来事の羅列としてではなく、食を通して、その変化を通史的に眺めていく視点を得るということでもある。歴史を俯瞰するツールとして、博物館の再現展示というのはもっと活用されてもいいと思う。