[感想後記]ビジネス文書の起源を探る!—国立歴史民俗博物館「中世の古文書」展

国立歴史民俗博物館「中世の古文書」展

 古文書というと、くずし字で難解なうえに、読解という高校の古文の授業を彷彿とさせるイメージがつきまとうものだが、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)では、「読めなくても大丈夫!」をキャッチフレーズに、2013年10月8日〜12月1日の期間、企画展「中世の古文書〜機能と形〜」を開催する。
 それに先立ち、プレスおよびブロガーへの内覧会が10月7日に行われた。

 「読めなくても大丈夫!」ということは、即ち「見ることで楽しむ」企画展であるのだが、古文書を見るとはどういうことか? 一体どこに眼を付ければいいのか?——それは、なによりも署名の位置だという。

「源頼朝下文」(右のケース内)

 会場では、まず、中世以前の古代の文書(もんじょ)の展示から始まる。日付の下に名前を書くのは、身分の低い者(=へりくだる)であることを表している。

 中世になるとサインとして、花押が使われるようになるが、これをどこに書くかが大きなポイントになる。
 源頼朝のそれはなんと文書冒頭の右(「袖」という)にサインされている。これが一番尊大な形式である。内容は「別紙の通りである、以上」のような素っ気ないものであるが、地頭職を与えられた御家人が、頼朝との主従関係が明白である証しとして発給を求めたもので、主人からじきじきに文書をもらった(自分たちの所領安堵の証しを得た)というステータスにつながる。
 鎌倉時代の主人と御家人の関係をうかがわせる文書だ(「源頼朝下文」=11月4日まで実物を展示)。

 やがて北条氏が執権として権力を握るようになると、北条は将軍ではないので、主従関係も微妙になる。結果、北条氏は、発給する文書の前(尊大な位置)でもなければ、日付の下(へりくだった位置)でもない。日付から1行ずらしたところに花押をサインする(「関東下知状」)。
 お前なんかにへりくだらないぞという、いじましさを感じる」とは、内覧会で解説していただいた展示担当の小島道裕・国立歴史民俗博物館教授の弁。

「足利尊氏御判御教書 小切紙」(中央ハガキ大の紙)

 室町幕府の足利尊氏の花押は、青墨(せいぼく)と呼ばれる、色の薄い高級な墨を用いてサインされている。これは、そのサインは文章とは別に書いたぞという意思表示でもあるという。
 会場には尊氏が出した密書も展示されている(「足利尊氏御判御教書 小切紙」)。ハガキ大の小さな切り紙に、至急出兵を乞う旨の文と小さめの花押が書かれている。おもしろいことにこの紙のサイズ、今日のハガキの大きさと、どんぴしゃりと一致する〔155×104mm/官製ハガキは148×100mm〕。
 我々が何気なく「ハガキ大」と意識するサイズが、洋式基準を導入した明治維新前後とかではなく、それよりはるか昔から用いられていたわけだ。

「足利直義下知状」の花押

 さて、花押はどこに書かれるかによって、書き手の意図が見えることがある。
 「足利直義下知状」(1346年)は花押を日付の下(へりくだった位置)に書くことはなく、花押自体も大振りだ。展示パネル曰く、「ドヤ顔の文書」と評している。

 このほか、鎌倉時代のものとして、幕府から公家側に出す文書が展示されている(「関東請文」)。

「関東請文」

 これは、花押が裏側にサインされたものだ。
 相手に敬意を示すため、自分の名前を控えめに表現することがあるが、当時はその方法として、①名前を書かない ②花押を書かない ③花押を裏に書く といったことが行われていた。
 この文書では花押は裏に書かれている。この一事からも、東の武家政権、西の公家政権という、鎌倉時代のゆるやかで複合的な統治形態の一端をうかがうことができるという。

 考えてみれば、文書は相手との関係を表す。それは人間関係そのものだ。だいたい、今日のビジネス文書でもカタログや請求書ひとつ送るのに、季節を言祝いだり、ご健勝をお慶びする。
 また、相手がリアルではどんな傲慢ちきな人物でも、送られてくる文書は妙に恭しかったりするものである。

 というわけで、これら花押の書かれているものを、今日のビジネス文書の前史として眺めて見てみると、またおもしろい発見がある。きわめつけは、秀吉だ。

 同じ相手に宛てた豊臣(羽柴)秀吉の文書が3通展示されているのだが(『石見亀井家文書』)、年を追って尊大になっていく。

羽柴秀吉書状(『石見亀井家文書』)

 最初は同輩に宛てた丁寧な言葉遣いであるのに、

羽柴秀吉書状(『石見亀井家文書』)

 花押(直筆のサイン)を止めて朱印(ハンコ)とし、

羽柴秀吉書状(『石見亀井家文書』)

 ついには、結びの恐々謹言(謹んで申し上げるの意)も省略し、書状の紙も面積比で2倍にまでデカくなり……。手紙は人を表すというが、まさに秀吉の精神性が伺えよう。

秀吉からの3通の書状(『石見亀井家文書』)

 そんなわけで、例えば、いまや上司あるいは社長となって部下の研鑽にいとまがない貴兄も、入社以来、自分が出してきた歴代の送り状を古いパソコンから引っ張り出して並べ、秀吉のそれと比較してみてもいいかもしれない。

 一方、上司あるいは社長の片腕として活躍しつつも、「本当は俺の方が優秀だ」とか「俺が社長を支えているんだ」と思っている貴兄には、豊臣秀次(秀吉の甥)、足利直義(尊氏の弟)の文書をおすすめする(「豊臣秀次朱印状」「足利直義下知状」)。
 両名とも、初期には叔父(兄)との二頭政治で統治を進めたが、やがて対立し、最終的には秀次は切腹、直義も毒殺されている。
 その二人の文書を見ると、叔父(兄)とほぼ同一なのである。秀次に至っては紙の大きさや種類まで同じである。「太閤となった秀吉と関白秀次が全く同じような文書を出している点に、後年秀次が追放される兆しを見ることができよう」と同展図録は書く。
 そんなわけで、貴兄も、歴代の送り状を古いパソコンから(以下略)。

高札の展示@国立歴史民俗博物館「中世の古文書」展

 また、意表を突かれた展示としては、高札の裏側に鏡が置かれていて、覗けるようになっていたことだ。
 高札の裏なんか見てもしょうがないように思えるのだが、塗りムラから表側に漆を塗ってたことがわかったり、釘の跡がないので保存用(原本か?)だということがわかったりするという。

青島占領時の日本軍の貼紙@国立歴史民俗博物館「中世の古文書」展

 さらに驚かされたのは、これらの制札に並んで置かれた、第一次世界大戦の青島(チンタオ)占領(1914年)の際の、日本軍の貼紙である。ドイツへ宣戦布告した日本は、ドイツの租借地である中国・山東半島の青島を占領するのだが、その際、保護すべき家に対し「此家の主人は友軍の為(中略)徴発(物資の取り立て)すべらず」などと書かれた貼紙を用いた。
 それが隣に展示されている、およそ450年前の応仁の乱の「畑山義就制札」(1473年/寺領からの徴発を禁じた高札)と内容も様式もほぼ同じなのである。
 我々、近現代人のなかにも無意識に書式(フォーマット)が継承されているのであろうか?

国立歴史民俗博物館「中世の古文書」展

 先ほどもビジネス文書に言及したが、これらの古文書は現在から400〜800年ほども昔のものでありながら、現在にも相通じる形や機能を持っている。
 それらを見いだすおもしろさこそが、同展の言う古文書を「見る楽しさ」の一つであることは間違いない。
 会期は2013年12月1日まで。

 

※会場内での写真撮影は不可。掲載の写真は内覧会の際に、展覧会紹介を目的として撮影したものです。

国立歴史民俗博物館 企画展「中世の古文書〜機能と形〜」
住所 千葉県佐倉市城内町117
TEL 043-486-0123
会期 2013年10月8日〜12月1日
開館時間 9:30〜16:30
休館日 10/15、21、28、11/5、11、18、25
入館料 大人830円、高〜大学生450円(常設展も観覧可能)
交通 京成佐倉駅より徒歩15分