有明海のグロ魚を食す[柳川料理つむら]

エツの南蛮漬け

 福岡県南部の柳川市は有明海に面し、筑後川の河口付近に発展した水郷地帯である。
 有明海にはその土地固有のユニークな魚介類が多く、それが郷土料理として食されている。

 日本最大の干潟を持ち、泥底を中心とした内海である有明海は、満ち潮と引き潮との潮汐差が日本最大の5mを記録する。この海に棲むワラスボ、エツ、ムツゴロウ、オオシャミセンガイといったグロテスクな魚介類たちは、おそらく、日本が大陸と繋がっていた時に、長江の砂泥とともにやってきた連中の末裔にほかならず、その後、外海によって隔絶されたために独自の進化を遂げ、「世界で有明海にしかいない」「日本では有明海にしかいない」といったラインナップが勢揃いすることになったのだろう。

 柳川にはこのような有明海産魚介類を出す店が何軒かある。今回訪れたのは、郷土料理専門店の「柳川料理つむら」。ご主人の津村さんは地元の素材を活かすことをコンセプトにこの店を経営しておられる。気さくな方で、「(食材について)聞きたいことがあったら、なんでも説明しますよ」とおっしゃる。

エツ(調理例)

 まずはエツをいただく。イワシのような顔をしていながら、胴体は小刀の先のようにフェードアウトしていくユニークな魚体。煮付け、唐揚げ、背ごしなど、食しかたはいろいろあるが、今日は南蛮漬けで出てきた。5〜7月が漁期で、この季節でなければ食べられない。
 これは、有明海以外世界のどこにもいない生物『有明海』菅野徹著・東海大学出版会)だという。有明海というのは東京湾と同じくらいの大きさで、つまり、世界中で東京湾ぐらいの大きさのところでしか存在していない生物なのである。
 あぁー、食ってしまっていいのか、もったいなや、もったいなや(むしゃむしゃ)。味はコノシロやサッパのような、光りもの系の味がする。

イソギンチャク(調理前)

 続いてイソギンチャクを食す。ご主人が調理前のお姿(左)を見せてくれた。唐揚げにしてよし、味噌煮、醤油煮、汁に入れてもよしという万能選手である。
 地元では輪毛尻巣(ワケンシンノス)と表記する。最初、この音を聞いた時、てっきりラテン語の学名かなにかだと思った。「おぉ、学名表記している! 和名がないからに違いない」と。「ワケンシンノス」なんて、いかにもいそうではないか。 ところが、漢字を見たら、「毛」が「輪」になって「尻」だ! この漢字は見ないほうがいいな。

イソギンチャク(調理後)

 今日は味噌煮が出てきた(右)。ちょっと弾力のある食感。
——うん、これはうまい。おつまみにぴったりだ。貝のようであり、ナマコのようであり、ホヤのようでもある。ただし、ナマコやホヤとはちょっと違って、この輪の毛の尻は貝類に近い味を主張している。ツブ貝やサザエの食感がきらいではない人には楽しめる味だろう。

「イソギンチャクというと、岩に張りついているイメージでしょ。でも、有明海は干潟ばかりで岩がないから、海の底にごろごろしていて、割と簡単に獲れるんですよ」とご主人。
 ますますナマコちっくである。でも、九州では毛尻があれば、ナマコなんかいらないね——と思ったら、ご主人によると、有明海沿岸ならどこでも食べるというわけではなく、佐賀の方では全然食べないという。この柳川と大牟田のあたりでのみ食べる習慣があるというから、生物学的のみならず民俗学的にも有明海はおもしろい。

ムツゴロウの素焼き

 そして、ムツゴロウの素焼き。柚子胡椒を添えていただく。ちょっと小骨が多いかな? 背びれと尾びれにある特徴的な紋様がくっきりと見える。柳川出身の詩人・北原白秋(1885〜1942)は「サンショウウオに似た怪しい皮膚のイモリ状の魚」と評している。
 1997(平成9)年に諫早湾の奥を堤防で締め切って干拓をするという、諫早干拓事業が行われた。そのため干潟の浄化作用が失われ、有明海は大きなダメージを受けているのだが、「ムツゴロウなどはまだ大丈夫だが、」とご主人。そのかわり、タイラギやメカジャ(ミドリシャミセンガイ)などの移動できない貝類・腕足類が壊滅的な打撃を受けて、漁獲量ががくんと減ったという。

ワラスボ(干物)

 そんなわけで、メカジャは食べてみたかったけれども、「少ししか入らなかったからもう売り切れ」とのことだった。このほかにウミタケ(ミル貝のような貝の水管)や手長タコ(ちょうど現地を訪れた夏が旬だった)も食べたが、最後にこいつを食べたかった。ワラスボである。

 理科室のヘビの乾燥標本ではない。スズキ目ハゼ科の魚で、砂泥で暮らしているせいか目が退化しているのが特徴。干物の姿がワラの束に似ているのでこの名がついたという。日本では有明海にしかいない。

ワラスボ(標本)@国立科学博物館

 これは別にそぎ落とした中骨、というわけではなく、れっきとした干物である(右は干物になる前の標本)。こいつにむしゃぶりつくという趣向だ。身は固い! でも噛めば噛むほど味が出てくる! 津軽地方で食べたカンカイ(氷下魚〔コマイ〕の干物)に似ている。ちょっと醤油をつけたり、マヨネーズでもイケるかもしれない。頭にチャレンジしてみたが、さすがにこれは噛めなかった。

 なお、この店は(料理屋として当然のことながら)、柳川名物のウナギやドジョウも扱っているので、例のイソギンチャクをつまみに軽く一杯やったあと、ウナギをあるいは柳川鍋を堪能する——というような楽しみ方もできる。

 というわけで、地産地消の魚食を満喫して店を出た。

 翌日、九州をさらに南下すべく、大牟田駅のホームで列車を待っていると特急の「リレーつばめ」が入線してきた。濃黒色の車体が有明海のムツゴロウを連想させ、なぜだかとても旨そうに見えてしかたがなかった。どうやらまだ食い足りないようだ。

柳川料理つむら ムツゴロウ色の車体が食欲をそそる「リレーつばめ号」
有明海珍味専門店 柳川料理つむら
住所 福岡県柳川市本城町51-1筑紫ビル1F
TEL 0944-74-0655
営業時間 11:00〜21:00
交通 西鉄天神大牟田線西鉄柳川駅よりタクシー10分

 
〔参考〕

世界で有明海にしかいない生物
魚類 ★エツ、アリアケヒメシラウオ、シロチチブ
カニ類 アリアケヤワラガニ
日本では有明海にしかいない生物
魚類 ★アリアケシラウオ、★ハゼクチ、★ムツゴロウ、★ワラスボ、★ヤマノカミ、デンベエシタビラメ
カニ類 ★アリアケガニ、ヒメモズクガニ、ヒメケフサイソガニ
腕足類 ★オオシャミセンガイ
貝類 ヒイロカワサンショウガイ、シマヘナタリ
★印は食用。『有明海』(菅野徹著・東海大学出版会・1981年)より作成。