シーボルトゆかりの大ミミズ[シーボルトミミズ]

シーボルトミミズ@四万十市(旧西土佐村)で撮影

オランダ東インド会社の日本商館付医員として、1823(文政6)年に来日したフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796〜1866)は、江戸期の外国人のなかでは黒船のペリーと並んで、日本での知名度が高い。彼は医師であったが、日本に強い関心を持ち、動植物の収集に打ち込む、自然科学の研究者でもあった。


シーボルト生誕200年記念切手

彼の熱意は並々ならぬものがある。例えば「貝」だけに限ってみても、彼の集めた貝類標本は幼貝から成貝までの成長段階がわかるように収集されている例が多々ある。物珍しい貝だけをピックアップして持ち帰る博物コレクターとは違っている。また、殻だけでなく身も液漬標本にして保管している。

さらに、長崎から江戸への往還の途中に手配したらしく、琵琶湖にしかいない固有種の貝も入手している。生物だけでなく、民芸品に身を転じた貝も収集した。ハマグリの標本が本国オランダの国立自然史博物館に収蔵されているが、それらは「貝あわせ」の貝だった。ただし遊女の遊び道具というキャプションがついている。シーボルトかあるいは彼のバイヤーたちはどこで入手したのだろうか?

シーボルトミミズ@四万十市(旧西土佐村)で撮影

そうやって集めた動物標本を、シーボルトは4回、本国へ送っているが、そのなかにはミミズの標本もまじっていた。その名もずばり「シーボルトミミズ」は、本州中部以南と四国、九州の山間部に生息する大型のミミズで体長が45cmにもなるという。

筆者は四万十川流域でコイツに遭遇した。四万十川のような地味豊かな土地に暮らすミミズはお肌もこんなつやつやになるのかとびっくりしたが、そうではなく、もとからこういう色なのだ。地元では「カンタロウ」と呼んでいるとか。

『平凡社大百科事典』によると、シーボルトが採集した標本を元に1883(明治16)年にヨーロッパで報告されてから2番目の個体が得られるまでに約50年かかったという。50年といったら、1933(昭和8) 年である。江戸時代の発見から明治・大正を通り越して昭和までかかっているというのはスゴイ。しかし、そんなレアものとは思えぬほど、道々に、いっぱい、くねくねのたくっていた。

シーボルトミミズ@四万十市(旧西土佐村)で撮影

シーボルトミミズは2年周期で誕生と死滅を繰り返す、ユニークなライフスタイルを持つ。

1年目の春に一斉に卵からかえって成長し、越冬して2年目の夏に卵を産んですべて死に絶える。つまり、ほかの世代とまったく重ならないのである。すべて同級生だけなのだ。
高知県西部における調査では、成熟個体は偶数年に出現するとされており(社団法人生態系トラスト協会サイトより)、筆者が見たこの個体は、奇数年(2007年)なので若い奴ということになる。

いずれにしても、シーボルトミミズの辞書には「最近の若者は…」とか「老害」とか「ジェネレーション・ギャップ」という単語はないと思われる。「若手社員のモチベーションが——」とか「おじさん連中の、役にも立たない成功譚が——」といったことに悩まされている人々にとっては、ちょっとうらやましい話かも知れない。

シーボルトミミズ(Pheretima sieboldi)
分類 フトミミズ科フトミミズ属
生息地 本州中部以南、四国、九州の山地
見学スポット 上記生息地の山間で。梅雨〜夏の雨上がりの日などに特に。