野望に満ちたネーミング[岐阜城]

岐阜城

標高338メートルの金華山頂にそびえる城。ロープウェイを使ってはるばる昇ってくるだけのことはあって、眼下に広がる景色が素晴らしい。長良川を中心として岐阜市街が一望できる。

こんな景色を毎日眺めていると気宇壮大な気分になって、野望もたぎろうというものだ。そのせいかどうか、この城からは、斎藤道三や織田信長が輩出している。


岐阜城

斎藤道三は、親子2代にわたって成り上がり、ついには美濃一国を手中に収めた人物(かつては油売りから一代で成り上がったといわれていたが、実際には道三の父との2代にわたるコラボだったといわれている)。織田信長はいわずと知れた野望の人。

斎藤道三

現在の岐阜城は1956(昭和31)年に鉄筋コンクリートで再建されたもので、内部には郷土資料・歴史資料が展示されている。

斎藤道三

斎藤道三の解説を見てみる。頭は大きく特に後頭部が発達していて……と、妙に自然科学的なフレーズにいささか戸惑うが、要は智恵が豊富であり、また、眉は太く短く眉の間は広く目は細く長くて理智は輝いている、鼻は高く頬と頤とはよく発達して意志の強固なることを示していると、人相学的な解説なのであった。

信長コーナー

最上階の天守閣の部分は展望台。
さきほど述べたような光景が広がり、信長ファンならずとも「信長が眺めたのと同じ光景だ!」と感嘆すること必定だ。

これが、目の前に大海原でもが広がっていれば、「貿易で利益をあげよう」とでも思ったかもしれないが、ほどよく平野、ほどよく丘、そのうえ為政者の治水意欲を刺激するほどよい大河、というわけで、「次はあの山の向こうを攻めよう」という具合に隣国への侵攻をふつふつとたぎらせるにぴったりの眺めといえよう。

岐阜城・金華山

そもそも「岐阜」という名称からして、野望に満ち満ちている。道三の頃は稲葉山城と称したこの土地を「岐阜」と改名したのは信長で、古代中国の「周の文王、岐山より起こり天下を定む」という故事に由来しているという。「阜」は、孔子の生まれた文教の都・曲阜からとったという説もあり、武の都「岐山」と文の都「曲阜」を合わせ、天下の覇府としようとしたそうだ(『日本の名城・古城事典』)。

また、歴史作家の童門冬二は、岐山という地名にすれば「信長め、周の武王気取りか」とにらまれる、そこで山を低くして岡(阜は岡の意味)にしたのだと言っている(「名将の決断」2009年3月1日号)。

金華山

だが、これらの野望の主は悲劇的な結末をたどった。

斎藤道三は、息子・義竜と対立して長良川の河畔で討ち死にする(義竜は実の息子ではなく、道三が追放した守護・土岐頼芸の子だったという説がある)。
織田信長も信頼していた家臣・明智光秀に謀反を起こされ、本能寺で横死を遂げる。

400数十年前、この城の主になった者は、息子と部下、その2つに相次いで裏切られたのである。そんなことを考えると夕陽に輝く長良川の流れがなにやらもの哀しく見えてくる。

岐阜城
住所 岐阜県岐阜市金華山天守閣18
TEL 058-263-4853
開館 9:30〜17:30(季節により変更あり/年中無休)
入館料 大人200円、子ども100円
交通 JR東海道本線岐阜駅よりバス15分、「岐阜公園・歴史博物館前」下車後、金華山ロープウェー3分
開館年 1956(昭和31)年
ワンポイント GW、夏休み期間、9〜10月の土・日曜などに、夜景を楽しむための夜間営業あり。さて、400年前だと夜景はどんなもんだったろう。山の稜線の向こうに夕映えの残りがほのかに映り、それが都の繁華に思えたりして、ムラムラしていたのかもしれない。