渓谷遊歩道開発秘話[鳴子峡]

鳴子峡

観光客でにぎわう宮城県の鳴子峡。だが、この渓谷には男たちの壮大なドラマがあった! 友情に支えられ、秘境に挑んだ男たち! 断崖絶壁に遊歩道を造れ!

♪かぜのなかぁのすぅばる〜〜砂のなかのぎんがぁ〜〜

——というわけで、鳴子峡である。

鳴子温泉から中山平温泉に至る約3kmの渓谷。深さ100m近いV字谷に沿って遊歩道が敷設され、紅葉の季節には押すな押すなの大混雑となる。所要約1時間。
遊歩道へは中山平側の入口から入って、鳴子側へ抜けるコースをおすすめする。全体がゆるやかな下りで歩行が楽なのと、奇岩絶景は中山平側に多くあり、いきなりハイライト部分から楽しめるという利点がある。

紅葉の鳴子峡

 

新緑の鳴子峡

奥の細道をたどった芭蕉もこの眺めを楽しんだかと思われるのが、残念ながら、国越えの道(奥の細道)はこの渓谷を避けてもっと山側を通っている。

昔日の人たちにとっては、ただですら難所といわれているコースなので、わざわざ谷底へ降りて渓流を眺めるほどの余裕はなく、この渓谷への道はつけられていなかったのだ。江戸時代でも、地元の人も足を踏み入れることがない秘境と言われていた。

鳴子峡

では、この渓谷が世に出たのはいつかというと、国越えの長い歴史から見るとごくごく最近のことで、なんと昭和に入ってからなのだ。
1917(大正6)年、陸羽東線の開設工事のため工事用の道路がつけられた。この時、佐々木精一なる人物がその渓谷美に魅せられてしまい、ここに遊歩道を造ろうとして、町議会に請願した。

紅葉の鳴子峡

ところが、雪崩や水害の恐れがある危険な峡谷なので、町議会はこれに取り合わなかった。
すると佐々木氏は自ら町議になってこれを推進しようとし、町議選に立候補して当選する。しかし、少数派の悲哀で議会は動かない。やむなく、浄財を募り、私財を投じて渓谷の不動滝の所まで、人ひとりがやっと通れるほどの道を開削した。1927(昭和2)年のことである。

鳴子峡

この熱意に、当初、議会で反対派の急先鋒だった町議の高野善兵衛が心を動かされ、なんと推進派に転向してしまう。
高野議員は、探訪者に自ら道案内をかって出るなど、遊歩道開削に積極的に協力し、1929(昭和4)年には全長3kmの遊歩道の完成を見るに至った——という、青ノ洞門のようなストーリーがあったのである。

不動滝

今日、中山平口から不動滝まで降りてくると、「渓谷はもう終わり」という雰囲気である。以後の鳴子側までの1.2kmほどは、空も明るく開け、道幅も広く、言ってみれば川沿いの普通の歩道だ(鳴子側から渓谷に入ろうとすると最初にこの歩道をてくてくと歩かねばならない)。

だが、この道こそ、佐々木氏が私財を投じて先鞭をつけた、鳴子峡のルーツともいえる道なのである。ハイヒールでコツコツと歩く観光客を見て、泉下の佐々木翁は、我が意を得たりと微笑んでいるかもしれない。

鳴子峡
住所 宮城県大崎市鳴子温泉
TEL 0229-82-2102(鳴子温泉郷観光協会)
通行 荒天時閉鎖
交通 〔鳴子側入口〕JR陸羽東線鳴子温泉駅よりタクシー10分または徒歩20分
〔中山平側入口〕JR陸羽東線鳴子温泉駅よりタクシー20分またはJR中山平温泉駅より徒歩30分