「水木しげる」の“発見”[水木しげるロード]

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かつて、日本海有数の漁港として漁業関係者には知られていたものの、観光客には素通りされてきた境港。だが、郷土出身の「水木しげる」という存在を発見してから風向きが変わった。

米子と境港を結ぶJR境線は、列車の車体からして「ねこむすめ号」「鬼太郎号」など、完全に妖怪化。境港の駅を降りれば、駅前から町の中心部にある「水木しげる記念館」まで延々と妖怪のブロンズ像が続く。


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港を出て隠岐島に向かうフェリーは船体に鬼太郎が大きく描かれた「鬼太郎フェリー」。埠頭の倉庫の壁にも妖怪の絵。町を歩けば、妖怪神社に妖怪広場、妖怪スタンプラリー、土産物屋には鬼太郎グッズが山積みされ、なんの変哲もない商店街なのに、大挙して観光客が押し寄せる。さらには町が音頭をとって「境港妖怪検定試験」を実施するなど、とどまるところをしらない熱狂ぶりを見せている。

今では妖怪の町としてその名をほしいままにしている境港。衰退した一地方都市に過ぎなかったこの町にいったい何が起こったのか?

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それは「駅前商店街の活性化」から始まった。その流れを『こんなに楽しい!妖怪の町』(実業之日本社、2006年)に拠って見ていこう。

鳥取県の境港は大型の貨物船なども出入りする、山陰を代表する漁港だった。かつて昭和の御代、多くの船員が出入りする港町として、食堂や理髪店、飲み屋が軒を連ね、町は活気に満ちていた。だが、平成に入って客足が落ち込み、バブルがはじけて衰退というよくある地方都市のパターンをたどっていたのだ。

駅前商店街にとって一番痛かったのは漁港の埋め立て地への移転だ。JR境港線を使うのも通学の高校生ぐらい。目抜き通りにシャッターを下ろしたままの店が目立つような町になってしまった。

市は1988(昭和63)年に「街づくりプロジェクト委員会」を発足させ、駅前商店街の活性化を考えることになった。その結果、歩道を広くしてブロンズ像を設置するという方向性が決まった。この委員会は、先行して、市民会館の脇に芸術ロードというものをつくることを決めていた。これはふるさと創生1億円事業を用いたものだった。

ここまではどこの町でも考えそうなことである。駅前商店街の活性化もこれと同じ方向性をたどるかに見えた。

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しかし、思わぬところで転機が訪れる。1990(平成2)年、境港市の市民会館で行った「緑と文化の街づくりフォーラム」に、地元出身の著名人としてパネリストに参加していた漫画家の水木しげるは「水木サンの作品の何かを使ったものを、この町に置いたらいいな」と発言した(水木しげるは自分のことを水木サンと呼ぶ)。それを聞いた委員会のメンバーが、『ゲゲゲの鬼太郎』の立体像を町に置くことを思いつく。

ここで、水木しげるの漫画家としてのキャリアの長さと、根強い人気が幸いする。
委員会のうち、若い世代はアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』を想起し、上の世代は貸本や漫画本で『ゲゲゲの鬼太郎』にふれていた。
そしてさらに上の世代は、水木の自伝的マンガである『のんのんばあとオレ』に共感を覚えたというのだ。『のんのんばあとオレ』は水木が子どもの頃、おがみや(祈祷師)である「のんのんばあ」からいろいろな昔語りを聞いたという話が軸になっている。舞台は当然、水木が幼少時代を過ごした境港である。この作品がNHKでドラマ化されたのも追い風になった。

そして、妖怪のブロンズ像を建てるという計画が進行する。

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だが、いくら水木の知名度があっても、町民全員が鬼太郎ファンというわけではない。「お化けの像なんか、店の前に建てるのはいやだ」という商店街の人々を説得して、1993(平成5)年7月18日、23体のブロンズ像を設置した「水木しげるロード」の誕生にこぎつけた。

しかし、このロードはスタート早々、災難に見舞われる。誕生間もない7月21日には2体のブロンズ像が盗まれ、8月、9月にも像の盗難事件が起こるなど、さんざんな幕開けであった。

ところが、なにが幸いするかわからない。この事件が全国のニュースで流れたのである。その直後の様子を、前掲の『こんなに楽しい!妖怪の町』はこう記している。

「妖怪のブロンズ像を盗むなんて、妖怪より人間のほうがこわいですね」
あるキャスターがそのような趣旨のコメントをだした翌日、商店街の人は目を見張った。
神戸、大阪、広島、島根、岡山、山口……他県のナンバープレートの車が大挙して、駅前商店街に押し寄せたのだ。ニュースを聞いて、境港に水木しげるロードがあると知った水木ファン、あるいは妖怪ファンたちだった。あっという間に、二五〇メートルの歩道が人であふれた。
「なんでこんなに人がくるんだ」とつぶやいた商店主は二〜三人ではなかった。全員、唖然茫然である。

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結局、1993年は9月末までに3万5000人の人々がやってきた。翌1994(平成6)年には28万2000人、1997(平成9)年38万人、1998(平成10)年46万8000人と、堅調な集客ツールとなったのである。

誕生後、10年経ってからも集客の勢いは止まらない。2003(平成15)年には、廃業した老舗料亭を改築して、念願の「水木しげる記念館」の開館にこぎつけた。
2006(平成18)年には「境港妖怪検定」の実施や、船体に妖怪を大描きした「鬼太郎フェリー」の就航など、矢継ぎ早に新ネタを投入したこともあって、「水木しげるロード」は2005年比で7万人増の92万6909人、「水木しげる記念館」は開館年の19万7000人を超す19万8694人の利用者を記録するなど、いずれも過去最高を記録した。
2007(平成19)年は映画『ゲゲゲの鬼太郎』実写版が全国公開されたこともあり、前年比58%増の146万人をロードに呼び込んでしまった。まさに破竹の勢いである。

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さて、能書きはともかくとして、実際に町中を歩いてみよう。まず、JR境港駅前にあるブロンズ像。水木しげるを中心に、鬼太郎やねずみ男、目玉おやじといったおなじみのキャラクターが描かれている。ここから町の中心部まで延々と妖怪のブロンズ像が続く。

一見、何の変哲もない商店街だが、人だかりがしている所には必ず妖怪のブロンズ像がある。特に鬼太郎の像など、記念撮影の順番待ちの列ができるほどだ。

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目玉おやじの目玉が街路灯代わりになっている「妖怪広場」では、散策途中の親子連れが飲み物を飲んだりしてくつろいでいる。
2000(平成12)年元旦に登場した「妖怪神社」は、民間主導で造られた。地元の運送会社も、倉庫の壁面に妖怪を描いた「妖怪倉庫」を登場させた。役所まかせではなく、民間も各人・各企業ができうる範囲で町おこしに関わっているのだという。

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理髪店の店頭には鬼太郎と一反木綿のキャラクターが。理髪店は観光客の増減にはほとんど影響を受けない商売と思うが、なによりも商店街の人が町の妖怪化をおもしろがっている様子が伝わってくる。

そういえば、『こんなに楽しい!妖怪の町』には、下駄屋の職人が発奮した例が紹介されている。鬼太郎の履いている下駄が欲しいと立ち寄る観光客が増えたのだそうだ。別の履き物屋では引退したおじいちゃんが作ったミニ下駄のストラップが売れに売れている。民謡が得意な世代は、さっそく「鬼太郎音頭」を作り、イベントのたび毎に披露してまわっているという。

そもそも妖怪が土着的風土的なものであるからだろうか、こういうのはシニアの得意とするところだ。水木しげるを利用した町おこしは、結果的に、商店街どころか、シニア世代まで活性化してしまっているようなのだ。

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そして、「水木しげる記念館」。『ゲゲゲの鬼太郎』の妖怪アパートや妖怪のジオラマ、水木しげるが集めた妖怪コレクションなどからなる。
館内に展示された絵コンテやマンガの紙面から、鬼太郎が、ベトナム反戦の立場から妖怪たちとともにベトナム戦争に介入していたことを知り、驚く(このあたり、水木がただの妖怪漫画家にとどまらない真骨頂だ)。

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建物は、元が老舗料亭の改築なので、中庭などにちょっと料亭の面影が残る。改築といっても、市の厳しい財政の中ではかなりの出費になる。
かつて、記念館の開館を決めた時に、将来性を危ぶむ声に対し、時の市長は「少なくとも10年は絶対に大丈夫でしょう。もし10年経ってだめになったら、町の高齢者の憩いの場として開放すればよい」と答弁したという。退路まで考えた町おこしともいえる。

境港にとって、そして駅前商店街にとって、幸いだったのは、この企画はもとから観光客を呼び込もうという性格のものではなかったことだ。あくまでも地元商店街の活性化が目的であり、商店街の人が朝に店を開け、夕に店を閉める、その間に人が通り、立ち寄ったお客との会話もあり、売り上げもなんとか立つ——そういう町をめざしていたことである。いわば期待もスケールも小さかった。だからこそ、身の丈にあったほどのカネで町おこしをはかれたのだろう。

もし、「水木しげる記念館」を観光施設と位置づけ、これで客を呼び込もうと思っていたら、どうなっていたであろうか。一人でも多く集客したいと思い、施設を全国区にしなければという思いが高まり、かけるカネは際限なく膨らみ、そのため当然採算ラインも上がる。

コストが圧すので、ハコ(建物)は造っても、以後の企画展示やリニューアルにかける予算がでない。しかし、採算ライン(集客ライン)が高いので、常にかなりの客を集めなければペイしない。しかし、リニューアルするカネはない——という、所謂「ハコモノ行政」の悪循環に陥っていたことであろう。

世に、よそからの観光客を当て込んで町おこしを目論んだ施設は数多いが、開館年の集客数を上回った記録を持つ施設はいったいいくつあるであろうか?

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境港は、身の丈にあった町おこしが、全国的に評価された希有な事例だろう。

これと似たような事例が、北海道にある。そう、旭川の旭山動物園だ。老朽化した園内と限られた予算で、まず地元客を呼び戻そうとしたという点では境港と類似する。北の旭山動物園に対して、南の境港が、旭山動物園を猛追するようなブレイクをみせているのである。

どちらの町も無理をせずに、まず地元の資産を活かす、という方向で動いたのが共通した特徴だ。いわばスローライフな町おこしとでもいえようか。

「のん気にくらしなさい」とは水木翁の座右の銘である。「水木しげる記念館」に行くと、スタンプラリーの景品として、こののん気シールをプレゼントされたりするのだが、この言葉は、ほかならぬ郷里・境港の人たちに向かって発せられた言葉にも聞こえてくるのである。

水木しげる記念館
住所 鳥取県境港市本町5番地
TEL 0859-42-2171
開館 9:30〜17:00(火曜日休館。春休み・GW・夏休み・年末年始は無休)
料金 一般700円、中高生500円、小学生300円
交通 JR境線境港駅より徒歩15分