丑年にちなむスポット[倶利伽羅峠]

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新年あけましておめでとうございます。
2009(平成21)年は丑年ということで、まずは、かつて牛が活躍したスポットをご紹介。

石川県と富山県の県境にある倶利伽羅峠は、1183(寿永2)年に、平家打倒を旗印に挙兵した木曾義仲(源義仲)軍と、京都から迎撃に出た平維盛軍の合戦が行われた古戦場として知られている。

この時の戦いは、平家軍10万騎に対して、義仲軍4万騎と伝わっている。数で劣る義仲軍は、5月11日、平家軍の退路に伏兵を配置して夜襲をかけ、圧勝したのだが、この時に400〜500頭の牛の角にたいまつを結びつけ、敵陣に突進させる「火牛の計」を用いたとされる(『源平盛衰記』)。


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現地にはこれを記念して火牛の像が立つ。400頭もいればさぞ圧巻だと思われるのだが、たった2頭しかないのはいささか寂しい。
もっとも、この「火牛の計」は中国の故事にみられるエピソードなので、『源平盛衰記』の記述はフィクションだとされている。そんなことから、牛の像も2頭造ったところで躊躇したのかも知れない。

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「火牛の計」はフィクションだったとしても、合戦場だったことは史実で、夜襲を受け大混乱に陥った平家軍は、退路も断たれて、馬も兵も谷底へ落ちていった。
『平家物語』には〈さばかり深き谷一つを平家の勢七万余騎でぞ埋めたりける。巌泉血をながし、死骸岳(おか)をなせり〉と記されている。そんな話を聞くと、上のようなトイレの案内図も、なにかちょっと怖い気がする。

馬や、あるいはひょっとしたら「火牛の計」の牛が落ちたかもしれない峠であるが、最近ではトラックが落ちたことによって、この峠の歴史が変わったりもしているのだ。

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1934(昭和9)年のこと、1台のトラックがこの倶利伽羅峠からやや北方の天田峠の谷底に転落した。運転していた男性は奇跡的に一命を取り留めたが、やがて男性の夢枕に不動明王が立ち、倶利伽羅山が荒れていることを嘆いたという。

この男性・高木勝巳翁は、不動明王の御加護で命拾いをしたと発奮、以後、19年間にわたって八重桜の苗木約7000本を倶利伽羅山に植え続けたという。

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おかげで、現在では富山県内屈指の桜名所となっている。

死骸が岳(おか)をなしていたような場所が、花見客でにぎわっているのだから、観光協会としては「トラック」と「不動明王」の像でも立てるべきなのかもしれないが、そのようなものはなく、富山・石川両県の商工会が立てた高木翁顕彰の由来板が公園の隅にひそやかに立っているだけであった。

倶利伽羅峠(倶利伽羅県定公園)
住所 富山県小矢部市埴生/石川県河北郡津幡町字倶利伽羅
入場 自由
交通 JR北陸本線石動駅よりタクシー15分
ワンポイント 八重桜の見頃は4月下旬〜5月上旬。遅咲きのため、GWの頃でも楽しめる。