人の道をゆく—我ら如何に進むべきか—[関門国道トンネル人道]

 昔ならば進むべき道は決まっていた。あるいは先に行った人が教えてくれたものである。
 ところが最近では、どう進むべきであるかということをやたらと迷う人が増えてきた。人の道を外れても大丈夫だとすら思っているのである。

 それはそうだ、自動車に鉄道に船もあるのだから。
 関門海峡の話である。

 山口県の下関と福岡県の北九州の間に横たわる関門海峡は、長さ約25km、幅は最狭部で約700m。この海峡には、鉄道トンネルが通り、自動車道路の大橋が架かり、国道トンネルが通り、さらに関門連絡船と関門海峡フェリーが就航していることもあって、この海峡を渡ろうとして、自らの進むべき道を迷う人が多い。

 だが、やはりここは人の道を進んでいきたい。海底を走る関門国道トンネルには「人道」があり人が歩いて通ることができる。北海道や四国もトンネルや鉄橋で本州とつながってはいるが、いずれも鉄路や自動車をメインとしている。
 歩行者を、専用道路を造ってまで歓迎してくれるのは九州だけなのである。これを利用しない手はない。

 下関からバスに乗る。人道の最寄りバス停は御裳川(みもすそがわ)だが、一つ手前の赤間神宮前で降りて、安徳天皇御陵がある赤間神宮を参拝。7月15日には小泉八雲の怪談で有名な「耳なし芳一」を弔う耳なし芳一まつりも開かれる。

 参拝を終えて神社の境内を出ようとすると、目の前を巨大な貨物船が横切っていく。海峡の水面が建物のかげになって見えないので、まるで巨大なビルが移動しているかのようなおもしろい光景だ。

 道なりに歩いていって関門橋の真下をくぐる。この大橋は自動車道なので、残念ながら歩いて渡ることはできない。海面からの高さ61m、吊り橋の塔の高さは133.8m。さすがに下から見上げると、でかい。

 橋をくぐり抜け、壇ノ浦古戦場址との記念碑が建つみもすそ川公園に。関門国道トンネルが建設されたのは1958(昭和33)年。その関門国道建設事務所の初代所長・加藤伴平氏を顕彰するレリーフも建つ。読んでみると
「伴平さんは 昭和五十七年 八十六歳で東京都葛飾区で永眠されましたが 本当に永眠されているところは この水底ではないでしょうか」
——などとちょっと恐ろしいことが書いてある。

 さて、公園のすぐそばに人道入口がある。ここでエレベーターに乗って地下に降りる。歩行者の通行は無料だ。

 路面に書かれた「↑門司」の文字に導かれるように九州を目指す。トンネルの全長は3461mだが、人が歩く部分は海峡に面した780mの区間だけなので、所要ものの15分といったところか。

 ぶわーぶわーと自動車の音が壁越しに響いてくる。このトンネルは上下2層で、上を自動車が通り、下を人が歩くかたちになっている。両脇の壁面には、鳥や樹木をデザインした安っぽ…いや、純朴なイラストが描かれていて、トンネル歩きの無聊を慰めてくれる。

 海抜マイナス56mの最深部を越え、少し行ったところに、山口県と福岡県の県境がある。遠くから見ても、人の流れが滞留しているのですぐわかる。
 またぐかと思うと、また戻ったりして、地元の人以外は必ずここで、うろちょろしてから去っていく。携帯電話の電波が入るので、記念通話なんてことも。

 意外とあっけなく海底トンネルの旅は終わり、また地上へ。九州は門司の和布刈(めかり)に上陸だ。

  

 すぐそばに海峡の守り神和布刈神社が立つ。

 神社の境内の先は、そのまま石段になって海の中へと続いており、干潮時には磯遊びに最適。もちろん、磯遊びのためにこんな境内を造ったのではなく、神社の神事をおこなうための場である。毎年旧暦の元旦に烏帽子、白足袋、藁草履の装束の神官が海に入って、神前に供えるワカメを刈る和布刈神事は有名。
 海辺の岩の上には、海峡と大橋を見守るように石造りの常夜灯が立っていた。

 歩いて数分で和布刈観潮公園。ここから西鉄バスに乗れば、約10分で門司港の駅。ただし、バスは1時間に1本なので、元気があれば、歩いていっても30分ぐらいだ。歩くにつれ、さっき真下を通ってきた関門橋の全体像が見渡せるようになってくる。
 道々、赤煉瓦造りの旧門司税関(明治45年建)や国際友好記念図書館(明治35年大連に建てられたものの複製)などを眺めながら進むと、やがて、大正3年に建てられた九州最古の木造駅舎門司港駅が出迎えてくれる。

 
関門国道トンネル人道
場所 関門海峡海底
交通 (下関側)下関駅よりバス12分、御裳川停留所下車
(門司側)門司港駅よりバス12分、和布刈停留所下車