国境のある民家園[みちのく民俗村]

工場の誘致に成功して以来、観光よりも工業で食っていっているから
「何も見るところがなくてねぇ」というのが、タクシーの運転手の「北上」評である。

その岩手県北上市の数少ない(?)見どころがここみちのく民俗村だ。

正式名称を北上市立博物館・みちのく民俗村といい、民家園と博物館が同じ敷地に立ち並ぶ。ビジターセンターも兼ねている鉄筋造りの建物が北上市立博物館。歴史、自然科学、地質といった展示がコンパクトにまとまっている。

工業で食っているとはいえ、北上川や北上山地など自然に恵まれた地なので、自然科学系の剥製・標本展示は充実している。とくに昆虫展示コーナーは、北上地域に生息している昆虫1300種の標本がずらっと並んでいて目移りする。しかもそのうち1000種ほどがなぜか蛾の仲間の展示である。
北上地域の蛾にとって、「親の敵(かたき)」といえばこの博物館を指すに違いない。


園内には大小あわせて30棟ほどの建物が建つ。山あいの商家「旧今野家住宅」では、夏期にはお茶のサービスがある。豪雪地帯から移築した「旧菅原家住宅」や伊達藩・城代家老の「旧大泉家住宅」など、道を進むたびに次々と茅葺きの家屋が現れてくる。

小振りの茅葺きは、天保年間に建てられた修験道山伏の祈祷場。周囲をワラで囲ったような建物は「マセ小屋」と呼ばれ、穀類を外桟に懸けて乾燥させ、室内で脱穀するという農作業小屋だ。

そんな茅葺きのオンパレードのなかで異彩を放っているのがこの「黒沢尻高等女学校旧校舎」だ。大正の洋風建築の流れをくんで1929(昭和4)年に建てられたもので、2階建ての白く塗られた木造校舎と赤い屋根が緑の多い敷地の中でも目立っている。

内部は民俗資料館になっていて、「馬と農具」「むかしの台所セット」などの展示がある。床はきちんと補強されており、あの木の廊下がきしむ木造校舎独特の雰囲気は味わえないものの、廊下のすみには、古びたオルガンや人台に懸けられた洋服などが並び、かつての女学校をしのばせている。

さて、敷地内の高台に建つこの女学校から、民俗村一帯を見渡してみると、ところどころに小川が流れている。典型的な南部曲がり家である「旧星川家住宅」の前には、ため池が水をたたえ、田では赤米が作られている。斜面の湧水からは木製の樋が延びていて、水を「旧菅原家住宅」の台所にまで導いている。

これらの水がどこから来るのかをたどっていくと、敷地を縦断するように1本の沢が流れていることに気がつく。
じつはこれが、この民俗村最大のご自慢なのである。

「ただの小川のどこが自慢なのだ」と訝りつつも上流即ち敷地の外れの方へとさかのぼっていくと、ぽつんと小さな塚がある。
沢をはさんでもう一つ。

かつて16世紀後半、南部氏と伊達氏が領有地を拡大し、ちょうど近接するようになった。これが、江戸幕府になってからは、その境界線をめぐってしばしば事件が起き、やがて幕府へ訴え出る騒ぎにまで発展する。そこで、1641(寛永18)年、老中職の立ち会いで絵図に点を打ち、文書での境界線の協定が結ばれた。

翌年から、両藩の役人が現地へ赴き、この地図面に従って国境線を確定していった。その時の目印として築かれたのが、この塚だった。

塚には大小いろいろなパターンがあるが、とくに重要な箇所には「挟み塚」といって、このように南部藩側と仙台藩側に一つずつ築き、その間を流れる川を国境とした。

国境といっても、ポンと飛び越えられるぐらいのほんの小川だ。そのため、南部領に行ったり、仙台領に行ったりとポンポンと自在に楽しむことができる。江戸期以降、行政区分や政治体制もどんどん変わってるのに、いまだ360年以上も昔の塚が小川ともども残っているというのはかなり珍しい。そして、その付近一帯がまるまる民家園の敷地となり「国境のある民家園」になっているというのもユニークだ。

改めて小川を見ると、沢には小振りな橋がかかり、辺りを杉木立が囲んでいる。そして、塚の脇には小さなお堂も建っていて、お灯明(がわりの電灯)が灯っている。江戸時代の雰囲気がかすかに感じとれようか。

北上市立博物館・みちのく民俗村
住所 岩手県北上市立花14-59
開館 9:00〜17:00(12〜3月の毎週月曜日及び年末年始休館)
入館料 一般350円
交通 東北本線北上駅よりタクシー10分、またはバス15分「展勝地」下車