哀愁漂う日光の弟分[上野東照宮]

東照宮とは、いうまでもなく、徳川家康をまつった神社。日光のそれが有名だが、全盛期には全国500社を誇ったという。
上野公園にある東照宮は1651(慶安4)年の建築で、1636(寛永13)年に建てられた日光の弟分である。
徳川幕府の本拠があった江戸・寛永寺の敷地内にある。将軍様のお膝元、店に例えれば、幕府の直営店舗あるいは旗艦店とでもいうべき存在だろうか。

こちらにも、不忍池に水を飲みに行ったという左甚五郎作の竜の彫り物や、狩野探幽の筆になる壁画などがあり、参拝券を買って本殿に入れば、それらを本当に目の前で見ることができる。この接近感は日光では味わえない。
しかし、実際は、本家の日光と比べるのが気の毒なような心持ちになる。客足が少ないせいなのか、ふすまなどが破れていたりするせいなのか。

社殿に手を触れないで下さい
と書かれた貼り紙が画鋲で(!)社殿に直にとめてあったりするのも、哀愁が漂う。
そもそも、これら彫刻類は極彩色で彩られ、東照宮をぐるりと取り囲む透塀は総金箔になるはずだったが、予算がないので現在下地漆塗りにとどめているとのこと。
ますます哀感が増してくるが、神君・家康公の御遺訓に「不自由を常と思えば不足なし」との一節があるので、その精神を地で行っているのだろうか。

さて、それはそれとして、ここでの楽しみはその透塀のアニマルウォッチングだ。
「東照宮略記」によれば、塀の上段には花木山禽、下欄には水草鳥魚をあしらっており、その数約300枚あったが、戦後、占領軍の土産に持ち去られるなどして、現在は250枚ほどになってしまったとか。
眺めてまわっていると、様々な動植物がデフォルメされて彫られている。東照宮創建の1651(慶安4)年に造られたもので、17世紀中半の人々の感性に触れることができる。
ホタテ発見!

波間には、アワビの姿も見える。

やがて、古生代デボン紀後期になると、最初の両生類である「イクチオステガ」があらわれ、上陸を開始する。

古生代も後半。昆虫の中には「ムカシトンボ」のような体長が数十cmもあるような大型種も出現する。

一方、初めての哺乳類は「メラノドン」と呼ばれ、ネズミぐらいの大きさで、樹上で生活していたと思われる。

我らが霊長類はといえば、6000万年前ごろ食虫類から進化し、「アウストラロピテクス」や「ラマピテクス」などが現れてくる。
彼らの祖先も当初は、樹上生活を送っていたことが、この透かし彫りからもうかがえる。

——などというようなことが、17世紀中葉ではわかろうはずはない。
が、東照宮を参拝する前に、同じ上野にある「国立科学博物館」などを見学してくると、このような具合に想像力を刺激してくれるので、あわせて訪問することをおすすめする。
帰り際、ふと振り返ると、社殿が西日をうけて金色に輝きはじめた。東照宮の面目躍如たる瞬間を見た気がした。
上野東照宮 | |
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住所 | 東京都台東区上野公園 |
拝観料 | 200円 |
交通 | JR山手線上野駅公園口より徒歩8分 |