クジラの胎児の冥福を祈る[青海島鯨墓]

青海島鯨墓

江戸時代初期から沿岸捕鯨で栄えていた青海島に伝わる鯨墓

人間、生きていくためには、植物であれ動物であれ、何らかの命を奪わなければならない。
このことに罪の意識を感じるようになったのは、仏教伝来以降なのかもしれないが、それはともかく、それゆえに、各地に我々の食材となった生物に関する供養碑や感謝碑をあまた見ることができる。
青海島(山口県長門市)の通(かよい)地区にある「青海島鯨墓」はそのような供養碑の中でも珍しく、クジラの胎児のみを供養したものだ。

なぜ、胎児のみなのか? それは青海島の地理的要因が関係している。
青海島は山口県の日本海側にあって、江戸時代初期以来の記録が残る、沿岸捕鯨で栄えた地だった。
日本海のクジラは出産と子育てのため、秋から冬にかけて、南の海を目指して南下する。この時が、同地のクジラ漁の漁期だった。

青海島鯨墓

青海島鯨墓。正面を海に向けて建てられている

通地区で捕獲された鯨の中には、胎児を宿していた個体もおり、解体中に出てきた胎児を供養したのがこの墓だ。
鯨墓は清月庵という観音堂の境内にある。清月庵は1679(延宝7)年に建てられ、当初からクジラを弔うことが行われていたという。鯨墓は1692(元禄5)年に建立された。
1673(寛文13)年には「通鯨組」が藩に取り立てられたとのことなので、捕鯨が藩公認の主力漁業になっていった時期と重なっている。

青海島鯨墓

1679(延宝7)年に建てられた清月庵

鯨墓には、1692(元禄5)年から明治時代にかけての70数頭のクジラの胎児が埋葬されている。
同じく通地区にあって、清月庵を所領する向岸寺には、捕鯨で捕らえたクジラ1頭1頭に戒名をつけた過去帖が伝わっている。

通地区を含めた長門一帯の捕鯨(伝統古式捕鯨)は、明治末を最後に姿を消した。以後の捕鯨は、沖合からさらに遠洋へと移行し、下関(山口県下関市)が南氷洋捕鯨の拠点となる。

青海島鯨墓

鯨墓からの眺め。右手建物の屋根に「くじら資料館」のクジラが顔を見せている

通地区にとって「捕鯨」はすでにオワコン(終わったコンテンツ)なのだが、しかし、向岸寺では現在も回向が行われ、通地区にはクジラ漁の労働歌でもある「鯨唄」が伝わっている。
同地にとって捕鯨は、単なる産業のひとつではなく、地元の文化と一体となって、深い影響を与えたものだったことがわかる。

伝統古式捕鯨やそれがもたらした当地の文化や習俗については、鯨墓のすぐそばにあるくじら資料館に詳しい展示がある。

青海島・くじら資料館

青海島の通地区に建つ「くじら資料館」

青海島鯨墓
住所 山口県長門市通662
交通 JR山陰本線長門市駅よりタクシー20分。またはバス30分「通漁協前」下車後すぐ
建立 1692(元禄5)年
ワンポイント 通地区では、毎年夏に古式捕鯨の様子を再現する「通くじら祭り」が行われる。