古式捕鯨と漁民の暮らしを紹介[くじら資料館]

青海島・くじら資料館

かつて、網による沿岸捕鯨が行われていた青海島の「くじら資料館」

日本海に面した長門市の浦々は、沿岸捕鯨で栄えた地だった。青海島の通(かよい)地区もその拠点のひとつで、現地に足を運ぶと、屋根の上からクジラが出迎えてくれる。

長門の捕鯨の歴史は古く、1672(寛文12)年には「鯨突き組」が長州藩に取り立てられ、その後、長州藩直属の鯨組が設けられるなど、「伝統古式捕鯨の地」と呼ばれている(「下関・長門 くじらマップ」下関・長門鯨文化交流事業推進協議会より)。
「くじら資料館」には、そのような300年以上前の物を含む、140点の捕鯨用具(国指定重要有形民俗文化財)が展示されている。

青海島・くじら資料館

かつての沿岸捕鯨の用具の展示と、クジラ漁がもたらした伝統文化などを紹介

秋から冬にかけて、日本海のクジラは出産のため、温かい南の海を目指して南下する。この時が、長門のクジラ漁の漁期だったという。

東西に長い青海島は、西側の大泊ではほとんど本土の仙崎の町とくっつきそうなくらい接近している。青海島と本土の間の海が仙崎湾で、島と本土が逆コの字型になって日本海に向けて口を開いている格好だ。
沿岸を回遊する魚はこの湾内に入り込み、時計回りに移動する。クジラも同様にこのルートで入ってくる。

通は、その青海島の東端にある集落で、魚群やクジラが湾内に入り込むのを見張るのにちょうどよい。そのためここに拠点が置かれたのであろう。
通という名は、応永の頃、三隅の漁師が鰯漁をするためにここまで通ってきたことに由来するという。

青海島・くじら資料館

クジラ解体の道具。解体の前に唄をうたう、集落の神様に鯨肉を供えるなどの習慣があったという

クジラが来るとのろしを上げ、指揮船、鯨追船、網船などの役割ごとに分かれた船団がクジラを網に追い込んで仕留めたという。

浜には旦那小屋と呼ばれる、鯨をさばく道具を納めた納屋があり、中にはカングラサと呼ばれるロクロが二つ据えてありました。鯨はこのロクロを使い、浜へ頭から曳きあげていましたが、大包丁を入れる前に、親父やハザシなどが歌をうたい踊っていました。

昔、鯨肉は魚よりも高価で、かなり豊かな人でないと口にすることができませんでしたが、通では鯨がとれると「町内赤身」といって、その肉は各戸に500匁ずつ分配されました。また通じゅうの神様にもアラシビ(わらしべ)でくくった200匁ほどの肉を供え(略)鯨唄を歌って供えました。

展示パネルは、伝統古式捕鯨の時代を、こう紹介する。

そのような網による古式捕鯨も、明治後半に火器を用いた銃殺捕鯨が登場したことで姿を消す。捕鯨の海域が対馬海峡などの沖合へと展開するようになり、沿岸にクジラが寄りつかなくなったそうだ。
長門での古式捕鯨は、1910(明治43)年が最後だったという。

くじら資料館

アワビの貝殻を用いた疫病除けのまじない

資料館には、漁民の暮らしなどの展示もある。
印象に残ったのは、アワビの貝殻を使ったはやり病のまじないだ。アワビの貝殻に「○○はいない」と家の子どもの名を書くと、はしかなどのはやり病にかからないという。
アワビの光彩に魔除けの呪力を見いだしたのであろう、漁業の土地らしい習俗だ。

青海島・くじら資料館

館のそばには巨大なクジラの模型が停まっていた。同地の「くじら祭り」で使用するとのこと

「鯨唄」や、クジラを供養する「鯨回向」などもパネルで取り上げられている。古式捕鯨は姿を消したが、クジラがもたらした文化は地域で継承されていることがうかがえた。

くじら資料館
住所 山口県長門市通671-17
開館 9:00〜16:30
休館日 火曜日、年末年始
入館料 一般200円、高校生以下100円
交通 JR山陰本線長門市駅よりタクシー20分。またはバス30分「通漁協前」下車後すぐ
開館年 1993(平成5)年
ワンポイント 近くにはクジラの胎児を弔った「鯨墓」がある。