[感想後記]18世紀の日記から広がる日常と葛藤/江戸東京博物館「18世紀ソウルの日常—ユマンジュ日記の世界」展

江戸東京博物館「18世紀ソウルの日常」展

ソウル歴史博物館で開催され好評を博した企画展が、江戸東京博物館でも開催されている

ひとりの青年がつけていた日記から、その時代の世相や日常生活を浮き彫りにするという珍しい企画展「18世紀ソウルの日常—ユマンジュ日記の世界」が、江戸東京博物館(東京・両国)で、2019年12月1日までの会期で開催されている。
日中韓の首都博物館が提携して展示を行う試みのひとつで、江戸東京博物館では2017(平成29)年に「江戸と北京—18世紀の都市と暮らし」展が開催されたが、今回はその韓国編となる。

江戸東京博物館「18世紀ソウルの日常」展

「欽英」と名付けられたユマンジュの日記

日記は、18世紀、漢陽(現・ソウル)に生まれたユマンジュ(1755-1788)という青年がつけていたもの。展示は日記の1784年の記述をたどりながら、1年間の漢陽の風俗や暮らしを取り上げていく。

新春の行事、花見、旅行、世話になった人に煙草を送る、医者にかかる、引っ越しする、科挙を受ける(しかし落ちる)といった出来事が綴られ、展示はそれを受ける形で、新春行事に用いられる道具、旅行先の土地が描かれた屏風、家の権利書(売買証文)、科挙の答案などが展開する。

江戸東京博物館「18世紀ソウルの日常」展

日記の出来事にあわせて、年中行事の道具や絵画、屏風などが展示されている。写真は新春行事

この展示は「18世紀ソウルの日常」を謳っているが、一般に「日常」というものを展示するのは難しいという。扱う範囲が膨大すぎて、片っ端から並べると雑多でまとまりがなくなるし、その上、地域的な差や所属・身分による慣習の違いなど、それぞれの人の属性による差異も大きい。

江戸東京博物館「18世紀ソウルの日常」展

再現されたユマンジュの書斎。書斎に名前を付けることは古今広く行われているが、ユマンジュの場合は書斎の窓にもひとつひとつ名を付けていた。これはちょっと珍しい

本展示では、日記をベースにして、来館者をユマンジュという青年の世界へ取り込んで、そこからその時代の(ユマンジュが見たであろう)光景を映し出している。
このあたりの展示の見せ方は、世相史や生活史に関心のある人には興味深いことだろう。

江戸東京博物館「18世紀ソウルの日常」展

ユマンジュのものではない(彼は不合格だったので)が、科挙の答案と合格証書。写真の下に敷いてある大型の巻物が答案、左上にある大型カレンダーのサイズのようなものが合格証書。用紙を含め、サイズがビッグだ

加えて、この日記は日常の出来事のほか、心情の吐露や葛藤を書き記しているという点で、当時の人の内面をさぐる貴重な資料だという。
会場には抜き書きも展示されている。こんな具合だ。

幸福なのに不幸な者がいて、不幸なのに幸福な者がいる。幸福で幸福だというものがいて、不幸で不幸だという者がいる。人が幸福な立場に置かれると時々これを自分の能力と考え、人が不幸な立場に置かれると時々それを自分の出来が悪いせいだと思う。

たいていの人が忙しくて、そこから抜け出せないのは、ただ「利益」という二文字のためである。利益を基準に賢明さと愚鈍さを見定め、能力のあるものとない者を区分し、必要なものと不必要なものを明確にする。利益を追うことにおいては天も地もない程に際限もないのだ。ああ!

高級官僚の家に生まれたことにもよるのだろうが、抽象的な思考力の高さと、20代の青年らしい葛藤がうかがえる。

江戸東京博物館「18世紀ソウルの日常」展

会場には所々に、日記からの抜き書きも展示

ユマンジュは歴史的にはまったく無名の人物だ。高級官僚の地位も世襲ではなく、科挙に合格してたどりつかなければならない。しかし、彼は官僚になることもなく、数え34歳で病死してしまう。
彼は「日記は未完成なので燃やしてほしい」と言い残したというが、父親が「そこに収められた言葉には深みがあり、緻密で朽ちることはない」と、それを後世に伝えた。
——と書くと、「燃やしてほしいと言ったのに、なんてひどいことを!」と感じる人もいるかもしれないが、知識人にとって日記とは、秘め事を書いたり、純粋な備忘録を書いたりというよりは、誰かに読まれることを前提として編まれている一面もあるようだ。

これは日本でも同様で、後世「日記」として伝わっている文書群の中には、生前、本人によって編集されたものが数多くある。公開を前提とした「創作ノート」のようなものと考えればいいだろうか。
だからこそユマンジュも、日記にはちょっと似つかわしくない未完成という言葉を使ったのだろう。

江戸東京博物館「18世紀ソウルの日常」展

医者にかかった時のコーナーでは、薬の原料や薬箱などが展示。でも、薬の服用を中止して書籍を買ってしまったこともあったようだ

この展示は先に2017(平成29)年にソウル歴史博物館で開催された。その時も心の葛藤に悩む様子などが「なんか、今とかわらないね」と共感を集めたという。

江戸東京博物館「18世紀ソウルの日常」展

当時の朝鮮には、世話になった人に煙草を贈る習慣があった。ユマンジュは煙草が嫌いで、日記にも「民の命を腐乱させる、国で禁止すべき」等々書いているが、官僚の父に言われたのだろう、不承不承(?)贈っている

企画展示室は江戸東京博物館の5階、18世紀の芝居小屋「中村座」の横にある。「中村座」からちょっと歩みを進めると、同じ18世紀のソウルへとつながっているというわけだ。
時空を自在に超えられるのが、博物館の魅力のひとつだ。とすれば、同時代の他の地域を比較できるこのような試みは、常設として展示してもおもしろいのではないだろうか。

江戸東京博物館「18世紀ソウルの日常」展

5階の常設展示の横にある企画展示室は、18世紀のソウルへと続いている

江戸東京博物館「18世紀ソウルの日常—ユマンジュ日記の世界」展
住所 東京都墨田区横網1-4-1
会期 2019年10月22日〜12月1日
開館時間 9:30〜17:30(土曜日は19時30分まで開館時間延長)
入館料 一般600円、大学生・専門学校生480円、中学〜高校生300円(都内の中学生と小学生以下は無料)
交通 JR総武線両国駅より徒歩3分
ワンポイント 同企画展は常設展観覧料で見学できる。