『おにぎりの文化史』、横浜市歴史博物館監修で発売

『おにぎりの文化史』

横浜市歴史博物館で好評を博した「大おにぎり展」(2014年)を、その後の知見も盛り込んで、増補書籍化!

日本を代表する食である「おにぎり」。だがその歴史は意外にも明らかになっていない。横浜市歴史博物館は、2014年秋に、横浜市内から出土した「古墳時代のおにぎり」を手がかりに、おにぎりや穀物の歴史を解き明かす企画展「大おにぎり展—出土資料からみた穀物の歴史—」を開催した。

タイトルこそポップだが、これは炭化したコメの塊などの炭化穀物を中心に取り上げた初めての博物館展示だったという。この展示内容をベースに、最新の知見も盛り込んだ『おにぎりの文化史 おにぎりはじめて物語』が、2019年4月4日、河出書房新社から発売された。

僭越ながら、私こと博物月報主宰が企画構成させていただいたので、いささか手前味噌ですが内容をご紹介。

描かれていないおにぎり

本書はまず現代のおにぎり事情(おにぎりは丸と三角、どちらが多いか?など)を俯瞰したあと、浮世絵、古典などにおにぎりの描写を探し求める。ところがおにぎりは意外と描かれていない。寿司が『守貞謾稿』(江戸時代後期の風俗誌)に挿絵入りで記されているのとは大きな違いだ。これは、おにぎりがあまりにも日常的な食事だったからかもしれない。

とくに中世以前となると、おにぎりにはほとんど出会わない。絵巻にも古典にもないとなると、あとは掘ってみるしかない。つまり、遺跡からの出土資料を探してみるのだ。考古学の出番である。

出土遺物からおにぎりをさがす

中世の城跡などからはおにぎりらしい炭化米塊が出てくる。
上杉景勝が景虎を滅ぼした「御館の乱」や、関ヶ原合戦の前哨戦である「伏見城の戦い」の現場から出土したそれは、戦乱で焼け焦げたのかと思うと生々しい感じがする。

このようにして、中世→古代→古墳時代→弥生時代、と時代を遡り、炭化したコメの塊を検証していく。一見、おにぎりのように見えても、稲穂や籾殻、炊飯前の玄米が焦げて固まっただけのものもあり、「おにぎり」と断定できるものはそう多くない。その検証のためにCTスキャンまで持ち出してくる徹底ぶりである。

なぜ、おにぎりを見つけるのにそこまで手間がかかるかというと、出土している物が炭化してわかりづらいからということもあるが、コメには品種によって主な調理法が異なり、その当時のコメがどのようなものかを考えていく必要があるからだ。

コメの品種を土器から探れ!

そもそも、日本列島にコメが伝わってきたと言っても、最初から現代日本のお米(温帯ジャポニカ米)と同じものがきたわけではない。もし弥生時代のコメがねばりの少なくパラパラしたお米だったら、弥生人はピラフは食べただろうが、おにぎりはお預けである。

そして、当時の炊飯器でもある「土器」の使用痕から炊飯方法を推定していくと、どうも古墳時代後期に突然、炊飯方法が変わっているらしいのだ。これはこの頃にダイナミックにコメの品種がチェンジした可能性もある(ただ出土したコメからDNAを取り出すのは至難の業なので、現段階ではまだ断定はできない)。

本書では、ここで実験考古学が登場してくる。すなわち、弥生時代と古墳時代の土器(細部まで本物と同様に作った複製)で炊いた米でおにぎりはできるのか? さらに、弥生時代の土器についている使用痕と同じものが実験で再現できるかといった、奮闘も紹介する。

日本人とコメとの歴史が生んだ「おにぎり」

コメには多くの品種と多様な調理法がある。弥生時代から古墳時代、古代、中世と至るまで、その当時の人々はさまざまな調理法でもってコメに向き合ってきた。その流れの中で、便利な携行食あるいは日常食として登場してきたのが、おにぎりだ。
おにぎりをさがすと言うことは、日本人とコメの密接な歴史にアプローチするということにほかならない。