[今日は何の日]節分に豆をまくとは何事か!

1873年2月

新暦の節分に豆をまくことを嘆く記事。『新聞集成明治編年史・第二巻』(国立国会図書館蔵)より。

「新暦の節分に豆をまくとは何事か!」——そんな記事が1873(明治6)年2月の三重新聞に載った。

この年の1月、明治政府が太陽暦を採用して新暦となったのだが、そんな新時代にもかかわらず、四日市町のある家では2月3日の夜「福は内、鬼は外」と大声にて豆まきをしていたというのだ。戸長(町長)ともあろう者が新暦の趣意を理解せず、かかる旧習をなしているとは嘆かわしいと記事は書く。

1月の改暦に際しては、人日(正月7日)、上巳(3月3日)、端午(5月5日)、七夕(7月7日)、重陽(9月9日)の伝統的な五節句も廃止され、旧習の一掃が強調された。
「(墓地以外の)山畑や路傍の石仏・石塔を一切取り除くこと、石仏などは敷石や靴脱ぎなどに転用するのもよし」との厳達があったと報じる記事もある(郵便報知同年1月号)。

最近、「伝統」という文脈でやたら明治を追慕する向きもあるが、明治とは伝統破壊の時代でもあったのである。そんな時代の荒波を乗り越えて、いまだに我々が豆をまいているのは、この四日市の家のように、「新暦になろうが節分は節分!」と言って豆をまきつづけた人々の貢献もあるのかもしれない。