[今日は何の日]二宮金次郎像、ブレイクの予兆

万朝報(萬朝報)1910(明治43)年10月12日付

銅像限定販売の記事が載った、1910(明治43)年10月12日付万朝報。高さは一尺二寸(約37cm)で、床の間などに飾ることを想定していたと見られる

1910(明治43)年10月12日付の「万朝報(よろずちょうほう)」に、鋳金界の大家・岡崎雪声が〈二宮尊徳(金次郎)が幼時の俤(おもかげ)を模して(略)丈一尺二寸の銅像を鋳製し五百体を限り三十五円宛の予約にて〉販売するとの記事が載った。岡崎は金次郎の出生地の相州(神奈川県)へ赴き、古老に尋ねるなどの取材をしたという。

この銅像の金次郎は同年9月の東京彫工会に出品されたもので、柴を背負って本を読んでいるスタイルだ。この姿の金次郎は当時、引き札(チラシ)などにも使用されていたが、銅像として立体化されたのはおそらくこれが初めてと思われる。

この500体の限定販売の銅像だが、井上章一氏は、金次郎を顕彰する報徳会の雑誌に広告が1回しか打たれなかったことなどから、〈あまり売れなかったのではないか〉と書いている(『ノスタルジックアイドル二宮金次郎』1989年・新宿書房)。

しかし、東京彫工会に出品された金次郎像は意外な経緯をたどる。御用品に選出されて、お買い上げとなり、明治天皇が表御座所に飾ったというのだ。金次郎像は天皇の没後、1921(大正10)年、明治神宮宝物殿に展示された。
昭和に入って、小学校の校庭などに金次郎像を建てるブームが起こった時、この「明治天皇愛賞の金次郎像」は大きな影響を与えた(戦前期の東京美術学校のパンフレットなどに、明治神宮宝物殿の金次郎像に則り謹作といった記述が見られる)。

戦前からある学校などにしばしば見られ、また「学校の怪談」ものにほとんど準レギュラーとして登場する二宮金次郎像。
この銅像は、明治末期の初の銅像化を契機とし、明治神宮宝物殿での展示を経て、昭和戦前期の小学校校庭へと、あたかもホップ・ステップ・ジャンプのごとく、明治・大正・昭和の3時代を駆け抜けていったのである。

二宮金次郎像

昭和戦前期の小学校では金次郎像を建てることがブームのように沸き起こった。銅像は戦時中の金属供出で失われたものが多く、また、戦後になってリバイバルしたものもある。写真は高梁市郷土資料館(岡山県高梁市)にて。金次郎像は前身の旧高梁小学校時代の名残り