[今日は何の日]最古の地震の日

『日本書紀』允恭天皇五年

『日本書紀』允恭天皇五年の記述。1行目に〈地震〉と見える(『日本書紀』国立国会図書館蔵)

『日本書紀』によれば、允恭天皇5年の7月14日(七月丙子朔己丑)に地震が起こった。被害の記述などはなく、シンプルに〈地震(なゐふる)〉とあるだけだが、日本における、地震の記事の初見である。

被害や規模の記述はないものの、この時の災害対応は大きな問題を巻き起こした。地震が起こった日の夜、人を遣わして、この年1月に死去した反正天皇の殯宮(埋葬までの遺体安置所)の様子を見にいかせた。現場の人々はみな参集していたが、責任者の玉田宿禰(たまたのすくね)だけがいなかった。

そこで、他日、宿禰の本拠の葛城に人を派遣したところ、男女を集めて酒宴の真っ最中だった。宿禰は問題になることをおそれて、SNSを削…じゃない、使者を殺して身を隠す騒ぎになった。

ことの次第は当然、天皇の耳に入り、宿禰に呼び出しがかかった。宿禰は用心して鎧(よろい)を衣の下に着て参上。鎧を着けて来たことを知った天皇は、兵に宿禰を討たせようとし、宿禰はその場を逃げ出したものの、結局、屋敷を兵に囲まれて捕らえられ討たれた。

災害発生時に現場へ来なかったうえ、様子を見にやったら皆で宴会をしていたというのだ。宴会するぐらいだから、葛城ではたいした被害はなかったのかもしれないが、宿禰の初動対応の悪さは如何ともしがたい。

日本の地震の最古の記述が、地震対応の不手際第1号の記述というのはなんとも教訓めいている。