[Topics]和歌から占う「おみくじ」にチャレンジ!
和歌で伝えられたお告げ
『おみくじを引いた時に、おみくじに載っている「和歌」からその内容を判断する』という占いの仕方がある。
なぜ、和歌かというと、古来から日本の神は和歌を詠むとされており(『古今和歌集』序文)、神からのお告げ(託宣)も和歌で示されることが多かったからだ。
神様は「今日の運勢はね、大吉!」などと言ったりはしない。神は夢に現れたり、神がかりした巫女を通じて、和歌でそのお告げを伝えてくる。人々はその和歌を自分の願いと照らし合わせて解釈した。
やがて、あらかじめ和歌を用意してそれを引く、くじ形式の占いが室町時代に登場した。
現在、神社などに見られるおみくじは幕末〜明治以降に登場したものがほとんどだが、それでも多くに「和歌」が書かれているのは、このような「神と和歌の関わり」の伝統を踏まえているからなのであろう。
このあたりは成蹊大学の平野多恵先生(日本中世文学)の著書『おみくじのヒミツ』(河出書房新社、2017年)に詳しい(本書は筆者も企画・編集に関わらせてもらった。おみくじや和歌の見方ががらりと変わる、知的刺激に満ちた作業だった)。
託宣歌ならではの特有の解釈法
さて、和歌から判断するということは、おみくじに載っている和歌を解釈するということだ。
和歌の解釈というと古文の授業を思い出す人も多いかもしれない。しかし、お告げの和歌(託宣歌)の場合、文学的な解釈とは異なる理解の仕方が可能だ。
例えば『保元物語』には、後鳥羽院の崩御の時期について問われた巫女が「夏果つる 扇と秋の白露と いづれか先に 置きまさるべき」とのお告げを詠むシーンがある。
この歌は三十六歌仙の1人、壬生忠岑の歌に基づいたもので、本来、夏から秋への季節の移り変わりの情感を詠んだ歌なのだが、崩御の時期について尋ねて、この歌が示されたということは、(情感の解釈はすっ飛ばして)崩御の時期は「夏の終わり、秋の初め」と理解してよい。
こんな風に文学的な解釈とはまた違った、受け止め方ができる。これが和歌が託宣歌として使われたときの大きな特徴だ。
「一段と厳しい」おみくじにトライ
で、それを実践してみようというのが今回の眼目だ。
せっかくだから、和歌に力を入れたおみくじをいただける神社に行きたい。
というわけで、著者の平野先生にも同行してもらい、新宿の赤城神社(新宿区赤城元町)へ。
拝殿の正面はガラス張りで、屋根もすっきり組まれており、このしゃれた感じはデザイナーズ神社とでも言えばいいだろうか。
赤城神社には「古事みくじ」というのがあって、昭和初期のおみくじを用いている。
みくじ箱に、わざわざ〈一段と厳しい内容になっており…〉と書かれており、カレー専門店などでの「かなりの辛口です」表記に近いものを感じる。辛口が苦手な方にはノーマルタイプのみくじもある。
せっかくなので、辛口…じゃない、「古事みくじ」にチャレンジする。
みごとに「凶」。
さっそく和歌を見てみる。
花散りし
庭の木の葉は
茂り会いて
天照る月の
影ぞ
まれなる
歌の大意は〈木の葉が茂って、月の光が差さない〉というあまりいいものではない。
それゆえ、運勢欄も「枝葉末節に心を奪われていると何事もなしえない」と記されている。
もしおみくじを、スクラッチくじとか福引きのような運試しとして引いたのなら「ハズレ」である。
だが、おみくじはスクラッチくじではない。
この和歌を神のお告げと考えると、どういう理解ができるだろうか?
和歌に気になる言葉が…
まず、一読して感じたのは「実家の庭の梅の木、剪定しなきゃ…」なんだけど、それはともかく、「天照る月」という言葉に目を引かれた。「凶」のわりには縁起がよさそうな言葉があるじゃないか。
歌の大意からすると、現状、木が茂るようにいろんな課題があって、物事の優先順位とかタスク管理とかをしないといけない。でも、それをうまく処理すれば、「天照る月」があるととれる。
これを〈いろんな邪魔が入って、なんにもうまくいかない!〉と短絡的に解釈してしまうと、おみくじをさっさと境内に結びつけて帰ってしまいたくなるが、「天照る月」という言葉があるのに、そう判断するには早計かもしれない。
もし、木の剪定をしたり障害を取り除いたりしたあとに、どんよりと重く垂れ込めた雲しかないのだったらダウナーな気分だけど、今は難渋してるが、物事の優先順位などをつけ、枝葉を払っていけば、空は晴れている。しかも方向性は間違っていない。
——これは、運気好転のきざしを示した歌と理解することもできる。
言葉の受け止め方で印象が変わる
この和歌は、神のお告げとして見た時に「天照る月」の部分をどう受け止めるかで、印象が大きく変わる。
「凶」だといって、結びつけて遺棄して帰ってきてしまうと、「天照る月」も遺棄することになってしまう。いま、月は照っているのだから、それに向けてどう剪定していくか、そこを考えながらやれば、物事は一気に凶から吉に転換する——そういう可能性をもった歌だ、というように受け取ることもできるわけだ。
かつて、神がかりした巫女は和歌で託宣を下し、そこから和歌を用いた占いが登場した。
なので、今のおみくじも和歌に着目すれば、吉凶に一喜一憂するのとはまた違った、もっと深い受け止め方ができる。
和歌は、文学鑑賞的な見方以外に、このおみくじ(託宣歌)のように自分の願いに引き寄せて解釈することが可能だ。これは、なにも誰かが「おもしろい占いの方法を思いついた!」と喧伝しているのではなく、平安後期〜鎌倉時代の頃よりずっと、このような解釈を許容してきたのだ。
そういう点で意外とタフなのだ、この31文字のポエム。
平野先生が「このような柔軟さがなければ、和歌は千数百年も伝わってこなかったと思う」と語っておられたが、そのような和歌の芯の強さも実感できる。
運試しとは異なるおみくじの世界
一般に、おみくじは「運試し」とか、願いが叶うかどうかの「合否判定表」として受け取られていることが多いような気がする。
しかし、神社とかお寺は、その土地の守り神だったり高僧の顕彰スポットだったりするわけで、一度「運試し」から離れて、そういうところに鎮座している神仏から「自分の指針となる言葉をいただきたい」というような思いで引いてみるのもおすすめだ。
おみくじは、神仏からのレスポンスである。
それは、参拝や御朱印とはまた異なった、神仏との結びつきを確認する機会になるのではないだろうか。

おみくじの中は和歌しか載っていないものもある。物足りなく思うかもしれないが、これもおみくじのひとつのあり方なのだ。写真の明治神宮は明治天皇・昭憲皇太后(皇后)の和歌がおみくじになっている。吉や凶と書かれていない分、和歌の解釈に専念できそうだ
参考文献&論文

『おみくじのヒミツ』平野多恵著(河出書房新社、2017年)
おみくじの一般的なルールや和歌の解釈方法などが、和歌についての古典などをエビデンスとして書かれている。和歌に特徴のあるおみくじをいただける神社の紹介も。
・このほか、おみくじの変化の概要は、「なぜおみくじに和歌が書かれているのか」『データで読む日本文化』(風間書房)にも簡潔にまとめられている。
・とくに明治維新期には神仏分離の影響で神社みくじが大きく変容したが、それについては「おみくじの近代—和歌・明治維新・新城文庫『おみくじ集』」(愛知県立大学文字文化財研究所紀要第2号、2016年)に詳しい。今日の神社のおみくじの基礎がこの時に作られたことがわかる。
・また、和歌を用いたカード占いとして『歌占カード 猫づくし』(夜間飛行、2016年)がある。タロットの代わりに和歌が書かれており、歌から判断するもの。
いずれも平野多恵著。