[今日は何の日]銀座の小判の物語

朝日新聞1956年5月19日付

小判の発見を報じる1956年5月19日付の朝日新聞朝刊

1956(昭和31)年5月18日の夜9時頃のこと。東京都江東区の城東警察署に「仕事中に小判を拾った」と工務店の作業員から届け出があった。江東区深川の残土処理場で作業を行っていたところ、〈ピカッと光ったものがあった。/一枚を手に取ったら二枚、三枚とつぎつぎに出て来て二十三枚となった〉という(朝日新聞1956年5月19日付)。

この土砂は、中央区銀座6丁目の小松ストアーの地下工事現場から運び込まれたもので、慶長小判と鑑定された。翌日から残土の掘り返し作業をしたところ、発見されたのは慶長小判、享保小判あわせて208枚、一分金60枚にのぼった。

朝日新聞夕刊1956年5月19日付

1956年5月19日付の朝日新聞夕刊には、小松ストアー社長の談話が掲載された

徳川幕府の軍用金ではないか、明治維新の際に幕府が官軍から隠した金ではないかとの説も飛び交う中、19日付の朝日新聞夕刊は、先祖は幕府の御用商人だったが〈維新戦争の混乱の際、一家は小判だけをかついで命からがら今の銀座に逃げたということを伝え聞いている〉との小松ストアー社長の話を報じた。同社長は、めでたい話なので所有権を放棄して、〈記念品として博物館にでも寄贈して飾ってもらうつもりだ〉とも語った。

この顛末は小松ストアーのブログ「思わぬ嬉々事件 – GINZA KOMATSU|ギンザコマツ」にも掲載されている。

どうやら、幕府の埋蔵金ではなく、御用商人も務めた小松ストアーのご先祖の資産だった可能性が高いが、社長の気っぷの良さから、この小判は現在、東京国立博物館の所蔵になっていて、企画展などでときどき展示室に顔を出すという。