富士山の麓に暮らす人々の世界[富士吉田市歴史民俗博物館]

富士吉田市歴史民俗博物館

富士山登拝の装束を示した展示。富士山登拝は江戸時代に「富士講」として盛んに行われた

関東の都心にあっても、冬のよく晴れた朝や、秋の真っ赤な夕焼けに、富士がその稜線を横たえているのを眺めることができると、なにか得をしたような気になる。しばし見入っている人も少なくない。
これだけ目立つ山なのだ。古来から信仰の対象とされなかったわけがない。そのような、信仰対象としての富士山の歩みをまとめたのが、富士吉田市歴史民俗博物館だ。

平安時代以降、仏教の影響で修験者が入山するようになり、室町時代には修行の地になっていたようだ。その過程で、修験の開祖・役小角(えんのおづぬ)や記紀に登場する木花開耶姫(このはなさくやひめ)の伝説もまとうようになったのだろう。

江戸時代になると「富士講」として富士山登拝が大いに盛り上がった。「講」とは神仏信仰のための互助会のようなもので、信仰を深めると同時に資金を積み立てて、町や村から集団で登拝に来るようになった。

富士吉田市歴史民俗博物館

富士山頂の火口を一周する「お鉢めぐり」のジオラマ

この様子が絵図や模型で再現されている。火口を一周する「お鉢めぐり」のジオラマを見ていると、「懺悔懺悔、六根清浄」という念仏が流れてきた。これを唱和しながら多くの信者たちが山頂を目指した。博物館付属施設として、御師が使用した屋敷なども公開されている。

同館にはこのような富士山信仰のほかに、富士山の麓に暮らす人々の様子をも描いている。火山灰土に加え、高冷地という環境の中で、同地には繭の生産と絹織物の産業が発展したという。これらの織物産業の展示や、溶岩で覆われた台地の開発の歴史を先史時代にまでさかのぼって解説している。

富士吉田市歴史民俗博物館

火山灰性の土に加え、気候が冷涼な富士山麓では、繭の生産と絹織物の産業が発展した

そのような中でもひときわ目を引くのが、江戸時代に溶岩台地を掘り抜いて造られた用水トンネル「新倉掘抜(あらくらほりぬき)」のイメージ展示だ。大きさが実感できて、なかなかの迫力である。

富士吉田市歴史民俗博物館

江戸時代に掘られた用水トンネル「新倉掘抜」のイメージ展示

この掘抜、元禄年間(1688-1704)に着手されたが失敗。その後、工事の再開を求める声が上がったが着工できないまま歳月が流れ、忘れ去られた。その後100年以上経った1847(弘化4)年、大雨による土砂崩れでその時のトンネルが現れ、再び掘抜工事にチャレンジ。難工事の末、1852(嘉永5)年に通水したという。しかしその後も崩落などで通水不能、再工事を繰り返したというから、江戸期の開発の困難さがうかがえる。

高冷地で溶岩台地、加えて信仰の地のすぐそばという特殊な環境——そこでどのような暮らしが営まれ、どのような文化が生み出されたのか。富士山と人間との関わりを知るのに最適な博物館だ。

ふじさんミュージアム(富士吉田市歴史民俗博物館)

【追記】富士吉田市歴史民俗博物館の旧館の外観。2015年のリニューアルで、ふじさんミュージアム(富士吉田市歴史民俗博物館)となった

富士吉田市歴史民俗博物館
住所 山梨県富士吉田市上吉田2288-1
TEL 0555-24-2411
開館 9:30〜17:00(火曜〔祝日を除く〕、祝日の翌日〔日曜・祝日を除く〕、年末年始休館)
入館料 一般300円、小〜高校生150円
交通 富士急行富士山駅よりバス15分「サンパーク富士」下車
ワンポイント 【追記】富士吉田市歴史民俗博物館は、2015年4月4日にリニューアルを行い、ふじさんミュージアム(富士吉田市歴史民俗博物館)となった。当日に限り、ふじさんミュージアムのチケットで、御師旧外川家住宅も観覧できる。富士山レーダードーム館を加えた共通入館券も発売されている。