スプーンの魅惑と金属洋食器の奮闘[燕市産業史料館]

燕市産業史料館

スプーンをはじめ多様な金属洋食器が並ぶ、燕市産業史料館

スプーンというのは、魅惑的な食器だ。すくうという動作からは、ナイフやフォークとは違った持ちやすさが求められる。口に入れる部分(皿やつぼと呼ばれる)の厚みや幅も気になる。表面の加工も大切だ。材質は時には食感も左右するし、口に入れた時の質感は極めつけのデリケートさを求められる。
そのようなスプーンをはじめとする金属洋食器の町として名高いのが、新潟県燕市である。


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世界各地の約5000本のスプーンを収蔵展示した「伊藤豊成コレクション 世界のスプーン館」も併設されている

そもそもスプーンはいつ頃から使われ出したのだろうか。匙に似た道具は、縄文や弥生の遺跡から見つかっている。
一方で、今日のものに近い金や銀のスプーンが正倉院の宝物に収められている。これは、6〜7世紀に食事作法として中国大陸の文化が伝来した際に、箸とセットでやってきたものだ。箸はそのまま残るが、なぜかその後、スプーンは忘れられた。

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室町時代の柄杓(左)と、7〜10世紀頃に朝鮮半島で誕生した佐波理匙(金と錫の合金)

鍋に汁物をこしらえて、椀にとりわけても、そのあと使用するのは箸だ。スプーンではない。寺院で陶製スプーン(レンゲ)を、また医者が薬の調合のために匙を使用することはあったが、食器として広く普及することはなく、とくに室町時代以降は完全に廃れてしまった。
椀に直接口をつけて食べるという行為は、東アジアでは日本だけだというが、このような食文化がスプーンを必要としなかったのだろうか。

こうして忘れ去られたスプーンだが、19世紀後半、明治の文明開化の頃、再び日本にやって来た。その時に普及の立役者となったのが、ここ新潟県の燕なのだ。

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イギリスから持ち込まれた見本(中央)と、それを参考に燕で作り出された国産品。当時はまだ機械化されておらず、手作りだった

当初、スプーンを含め金属洋食器はすべて輸入品だったが、輸入商はやがてこれら食器の国内生産を模索するようになる。1911(明治44)年、銀座の店から31人前の銀食器のオーダーを受けたことで、燕の金属洋食器製造の幕が開いた。この時、燕のメーカーに声がかかったのには理由がある。燕は農具や家庭用品などの銅器を得意とする町だったからだ。

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江戸時代のつばやかん。地元の金属加工の老舗・玉川堂の初代・玉川覚兵衛が製作した現存する唯一のもの

そもそもは江戸の寛永年間(1624〜1644年)の和釘生産から始まる。信濃川の洪水多発地帯で稲作が不安定だったため、江戸から和釘の職人を呼び寄せ、農民の副業として定着させた。周辺に銅山と山があり、原料と燃料(薪炭)が調達しやすかったことも大きかった。
明治時代になって、洋釘が普及して和釘が衰退すると、今度は鑢(やすり)、煙管(きせる)、矢立(やたて:墨壺に柄が付いた携帯用の筆記具)、銅器などに活路を見出す。

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煙管製作場の再現展示

しかし明治後半〜大正時代になると、矢立は万年筆に、煙管は紙巻煙草に、銅器はアルミニウム製品に圧迫される。そこで真鍮、鉄、ステンレス、アルミニウム製品の生産へ転換。先に触れた金属洋食器を手掛けたのもこの頃だ。第一次世界大戦が起こるとヨーロッパの工場が軍需生産一色になったため、日用品の注文が日本へ殺到することになり、金属洋食器は燕の主力産品となった。

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木箱に入れられて出荷されるスプーン。金属洋食器は戦前戦後を通じて輸出の花形産業となった

第二次世界大戦中は、銅製品や金属洋食器は奢侈品として製造が禁止され、軍需品の生産をしていたが、戦後になって、ステンレスへの転換が急務となった。燕が軍需品を生産していた間に、欧米ではすっかりステンレスの時代になっていたのだ。

敗戦から2か月後の1945(昭和20)年10月、早くもステンレス製ミルクパンを製造。以後、湯沸かし、フライパン、ウォーターポットと続く。

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昭和20年代から製作されているコーヒーポットとティーポット

なお、占領軍が日本へ来た時、燕へ大量の金属洋食器の注文が入った。「作りたくても材料がない」と言うと、「ではこれで作るように」と潜水艦の潜望鏡が届いた。この潜望鏡が硬くて、材料にするのにえらく骨が折れたそうだ。そんな小話も館内随所に掲示してある。

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ソースポット。形状がわずかに異なるが、東京の西洋料理店に普及した「ミヤコ型」、戦時中、海軍に納品した「海軍型」などの名称がある

昭和30年代以降になると、欧米が日本の金属洋食器に輸入関税をかけるようになり、金属洋食器から金属の生活用品(ハウスウェア)にシフトする業者も出始めた。スプーン1本が全部金属だと輸出自主規制の対象だが、柄の部分をプラスティックにすると対象外になったため、そのようなスプーンが数多く生産されたのもこの頃だという。

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スプーンができあがっていく過程もつぶさに展示してある

 

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昭和40年頃の燕駅前をあらわしたジオラマ。金属加工の町・燕では道に金属クズが落ちていることが多く、タイヤのパンクが非常に多かったという

もっぱら輸出がメインだった金属洋食器や金属ハウスウェアだが、徐々に国内需要が伸び、1970年代からはギフト市場で人気を博す。1980年代からの円高時代を迎え、輸出での利益があがらなくなると、建築金物、自動車部品、医療器具などへ進出する。即ち、メッキ技術でH2Aロケットのメッキ、研磨技術で街頭カーブミラー、そして表面の膜を調整して発色させるカラーステンレスなどなど。

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デザインの変遷を眺めていくのも楽しい

展示を見ていくと、伝統産業が時代の移り変わりに消え去ることなく、果敢に時代にタックルしていっている様子が感じられ、その奮闘は感動的ですらある。スプーンもそんな伝統産業のタックルの証しなのである。

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金属加工によって製品ができあがっていく様子を示した展示

単にスプーンだけ、銅器のやかんだけ、あるいは煙管だけという具合に単品だけを切り出して鑑賞していたのでは気がつかない流れ——技術がどのように応用され、新しい産業に展開していったのか——を理解できるのが、燕市産業史料館の展示の大きな魅力だろう。

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単に産品を陳列するのではなく、技術の応用による産業の移り変わりが俯瞰できる展示構成になっている

燕市産業史料館
住所 新潟県燕市大曲4330-1
TEL 0256-63-7666
開館 9:00〜16:30(月曜日〔祝日の場合は翌日〕、祝日の翌日、年末年始休館)
入館料 高校生以上300円、小人100円
交通 上越新幹線燕三条駅よりタクシー5分または徒歩20分
開館年 1973年8月
ワンポイント 同館では、2017年2月3日〜3月26日の会期で、作家や職人、写真家など、さまざまなジャンルのプロフェッショナルが手掛けたスプーンが集う「スプーン展2017」を開催中。ビエンナーレ形式の展覧会として開催されているもので、同館ゆかりの県内外26人の作品を展示。