[今日は何の日]立春に卵が立つ話

朝日新聞1947(昭和22)年2月6日付

立春の瞬間を見計らって、麹町中央気象台の技師が卵立ての実験を行った。1947(昭和22)年2月6日付の朝日新聞より

立春に卵が立つ——1947(昭和22)年の早春、突如として卵立てがブームになった。当時、2ページ(つまり1枚)しかない新聞は『不思議や 卵が立つ』とニューヨークのUP電をかなりのスペースをとって伝えている(朝日新聞1947年2月5日付)。

それによれば、元・国府(中華民国)スポークスマンの張平群氏が「天賢」「秘密の万華鏡」という二つの古書から発見したといわれ、当地の実験では最初の二つの卵は倒れたが三つめはなめらかなマホガニーのテーブルの上にみごとに立つた。時刻は丁度立春のはじまる三日午前十時四十五分であつたと報じられ、上海ではわれもわれもと卵を買い求め、普段1個50元のものが600元にまではね上がったという。

このブーム、日本にも上陸し、同年2月6日付の朝日新聞は、麹町中央気象台予報室での立つか立たぬかの実験を写真入りで報道。かくて三十分で七つ、そして九つ、すねていた最後の一つも(立春の)時間の〇時五十一分になるとピタリ静止とその模様を伝えている。さらには「卵の立つわけ 中心軸に対称的」と題して岡田要・東大理学部長の話を伝える凝りよう。当の理学部長、立春に立つものなら他の日でも立つと私は思うとの感想を寄せている。

しかし、当時の日本は容易に想像がつく通り、戦後のモノ不足・食糧不足の真っ最中。この記事の載るつい一週間ほど前までは、官公庁の賃上げを求めた二・一ゼネストで世間は大揺れだった。
昨今のストとは異なり、国鉄が一日止まると回復するのに約一か月はかかり、コメが都内に搬入されるのに十日はかかる。都内にはコメが二、三日分しかないからその間に食糧暴動や餓死者でるだろう(『昭和経済史への証言』毎日新聞社)という切迫した状況だったから、卵立てに興じているほど世間様に余裕があったというわけでもない。

そんな時分にわざわざ外電を使い写真を使って(しかも写真を卵型に切る芸の細かさ)このような記事を掲載してしまうのだから、いつの時代にもそのテの話を探し出してきてしまう人間性を感じるとともに、記事内に食欲も忘れて実験に熱中、とわざわざ書かれているところに時代性も感じてしまう。