[感想後記]火焔型土器が渋谷に集結!/國學院大学博物館「火焔型土器のデザインと機能」展

「火焔型土器のデザインと機能

國學院大學博物館で開催中の特別展「火焔型土器のデザインと機能 Jomoesque Japan 2016」は、2017年2月5日まで。写真は国宝の火焔型土器。十日町市笹山遺跡出土

今から約5000年前、現在の新潟県・信濃川流域を中心とする地域で、炎が立ち上るかのような鮮烈で不思議な造形をした土器が作られていた。考古学に興味のない人でも、その姿を見知っている人は多いのではないだろうか——現在の我々が呼ぶところの「火焔型土器」である。

この火焔型土器が、大挙して故郷・新潟を離れ、東京・渋谷に集結している。

國學院大學博物館(東京都渋谷区)で行われている、特別展「火焔型土器のデザインと機能 Jomoesque Japan 2016」がそれだ(会期は2016年12月10日〜2017年2月5日)。

「火焔型土器のデザインと機能

火焔型土器や王冠型土器25点が一大集結した特別展。同展は火焔型土器が文化庁の日本遺産に認定されたことを記念して企画された

会場には火焔型土器や王冠型土器(火焔型土器に似るが縁の突起が異なる)が並んでいて、存分に火焔浴(?)が楽しめる。

よく見ると、「火焔土器」と「火焔型土器」という2種類の表記がある。これはどう違うのかというと、火焔土器は1936(昭和11)年に見つかった第1号で、以後見つかった同類の物を火焔土器と呼んでいる。会場にはその1号も登場、火焔土器と火焔型土器という、紅白歌合戦並みのスーパーセッションを目の当たりにできる。

「火焔型土器のデザインと機能

火焔土器(右)と火焔型土器(左)。火焔土器は、1936(昭和11)年に長岡市馬高遺跡で発掘されたと伝わる。それまでは破片しか見つかっていなかったが、この発掘で土器の全体の姿が明らかになった

会場を見回せばわかるように、火焔型土器はかなりの数がある。土器が発掘された地点は、日本海に沿って新潟から山形・富山へ至る地域に、山岳部は新潟から群馬・長野・福島の県境付近にまで及ぶ。

つまり、火焔型土器がこれだけ多く、しかも地域がバラけて見つかるということは、ひとりの独創的な人物が「芸術は爆発だ!」と想像の赴くままに作ったわけではなく、文様に何か意味があり、それが世代を超えて継承されていったことになる。

「火焔型土器のデザインと機能

土器の縁に同じくらいの大きさの突起(鶏頭冠突起と呼ばれる)を、必ず4つ配置するのが火焔型土器の特徴

火焔型土器の複雑な造形を眺めていたら、北米先住民族のトーテムポールが思い出されてきた。トーテムポールは好きな動物を雑多に積み上げたのではなく、その部族の神話や伝承(例えばある動物を神とし、その動物神から部族の祖先が生まれ今日に至るまでの来歴等)を語っているという。

火焔型土器を作る時も、トーテムポールのように、その文様を意味する何らかの物語が語られたのではないだろうか?

「火焔型土器のデザインと機能

火焔型土器の文様は、土器の表面に粘土紐を貼り合わせて表現されている

昨年12月に行われたミュージアムトークでは、「火焔型土器は失敗作がない」——つまり、どヘタな作り損ねが出土しない、という興味深い話を聞いた。作り損ねがないのは、我々が浦島太郎や桃太郎を暗記せずとも語れるように、当時の人々も火焔型土器の文様について、その意味を完全に理解して作っていたからなのかもしれない。

しかも驚くべきことに、この、いささか装飾過多に思われる火焔型土器は観賞用ではなかった。

土器に付着したオコゲの科学分析によると、遺跡ごとに違う種類の食品の煮炊きに使われていたようだ。また、土器に染み込んだ脂質の分析では、サケのような海洋資源を煮炊きしていたことが示されている。
火焔型土器は実際に煮炊きに使われた実用品だったのだ(但し、当時すべての土器が火焔だったわけではないので、火焔型土器が特別の調理具だった可能性もある)。

「火焔型土器のデザインと機能

同じ火焔型土器でも地域により、大きさなどに差がある。大きいものでは、高さ40cm超、容量25リットル超の土器もある

火焔型土器が登場した縄文時代中期は、遺跡数が著しく増加していることから、縄文時代の人口がピークを迎えた時代と推測されている。人口が過密になり、他者との交流の機会が増えていくなかで、地域集団がアイデンティティーを強め、個性的な土器を発達させていったとの説がある(谷口康浩「縄文人の心象世界と縄文土器」同展図録より)。火焔型土器の文様も、そのような地域集団にとって意味のあるものだったのだろう。

だが、残念ことに、縄文人は文字を持たない。そのため、彼らの間で語られていた物語やその意味を知る手がかりはまったくないと言っていい。「この文様にいったい何が託されていたのだろう」という想いは、単なる憶測や推理として、頭の中の出口のない空間をぐるぐるとまわるだけだ。

火焔式土器は、およそ300年続いたのち姿を消す(500年との説もあり)。一世代30年として10世代を経たことになる。その時には彼らには、もうその物語は必要のないものになっていたのだろうか。

「火焔型土器のデザインと機能

会期中は、新潟の当該地域の博物館や教育委員会の研究スタッフによる「ミュージアムトーク」が数回行われる

國學院大學博物館 特別展「火焔型土器のデザインと機能 Jomoesque Japan 2016」
特別展サイト http://museum.kokugakuin.ac.jp/special_exhibition/detail/2016_jomoesque_japan.html
住所 東京都渋谷区東4-10-28 國學院大學渋谷キャンパス
会期 2016年12月10日〜2017年2月5日
開館時間 10:00〜18:00
休館日 2016年12月26日〜2017年1月6日
入館料 無料
交通 JR山手線渋谷駅より徒歩15分
ワンポイント 会期中、数回開催される「ミュージアムトーク」は、新潟の当該地域の博物館や教育委員会の研究スタッフが来館して直接トークするもので、興味深い。
12月17日は十日町市博物館の石原正敏氏、1月21日は津南町教育委員会の佐藤雅一氏、1月28日は長岡市立科学博物館の小熊博史氏、2月4日は新潟県立歴史博物館の宮尾亨氏。申込不要で、しかも博物館の観覧も含めてすべて無料。