[今日は何の日]登呂遺跡発掘の日

静岡市立登呂博物館

登呂遺跡の発掘は、1950(昭和25)年まで第5次にわたって行われ、さらに1965(昭和40)年に東名高速道路建設にともなう第6次調査が行われた。この時の「昭和の発掘調査の忘れ物」が展示されている

1947(昭和22)年のこの日、登呂遺跡(静岡市駿河区)で本格的な発掘調査が始まった。

登呂遺跡は、第2次大戦中の1943(昭和18)年、軍需工場建設の際に木製品や水田跡とみられる杭列が出土したことで発見された。この時に、弥生時代の農耕集落遺跡と確認されていたが、戦時中のため、一部の調査にとどまっていた。

戦後になって、学問の世界も、それまでの神話と伝承をないまぜにした非科学的な皇国史観から脱却し、登呂遺跡発掘調査の機運が高まった。当時は、食糧不足・物資不足が敗戦直後よりも悪化するなど、どん底の時代にあったが、そのような状況にもかかわらず、いやそのような状況だったからこそ、戦後初の学術的調査として大きな注目を集めた。

静岡市立登呂博物館

「昭和の登呂遺跡発掘調査」のジオラマ

発掘に参加した考古学者の大塚初重氏は、「戦後、私たちはそれまで信じてきた神話中心の歴史を否定され、『何が本当なのか』と困惑していた。でも登呂の発掘によって、『これからは日本の歴史を自分たちの手で明らかにできるんだ』という手応えを得た。登呂は戦後日本に希望を与えてくれたんです」(朝日新聞2008年11月16日付)と語っている。

結果、弥生時代の農耕集落の全貌や稲作の経緯が明らかになり、政府はこの調査を国家的事業にすることを決定し、翌1948(昭和23)年4月には日本考古学協会が発足するに至った。

静岡市立登呂博物館

当時の発掘調査の「煙草買受票」「アイスキャンデー領収書」なども展示

現在、一帯は再現集落のある登呂遺跡公園となり、公園内には静岡市立登呂博物館が建つ。博物館内には、出土品や弥生時代の最新研究成果などのほかに、シャベル、仁丹やインクのビン、消しゴム、巻尺など、これら一連の発掘調査に用いた物の出土品(ややこしい!)や、「煙草買受票」「アイスキャンデー領収書」「自転車修理代領収書」といったものまで展示されている。

登呂遺跡の発掘調査は、日本人の古代史への知識や興味を高めるきっかけとなったのみならず、「自分たちの歴史は自分たちが明らかにする」という意思表示の表れでもあったのだ。

静岡市立登呂博物館

竪穴住居や高床倉庫、水田などが再現された登呂遺跡公園。平成になってからの調査で、さらに大型掘立柱建物跡が確認された