大正時代のモダン小学校[葛飾区教育資料館]

葛飾区教育資料館

都立水元公園入口から徒歩5分ほどの所に建つ

花菖蒲や芝生広場などが人気の都立水元公園。その入口そばに瓦屋根と木造がひと目をひく校舎がたたずむ。1925(大正14)年に建てられた葛飾区立水元小学校の校舎を移築復元した、葛飾区教育資料館だ。

都内に残る大正時代の木造校舎としては唯一のもので、区の文化財に指定されている。西洋風の見た目もさることながら、校舎自体もアメリカから輸入した松の木で建てられいる。

なぜアメリカからの輸入材で造られたのかというと、2年前に起きた関東大震災の影響で、国産資材が不足していたからだという。なお、地震の教訓を活かして、建物の構造も強化されているそうだ。

葛飾区教育資料館

教室内では授業風景の再現展示がある

館内に入ると、廊下に山と積まれた手桶、火鉢、トランク、印半纏、釜、米櫃、扇風機、壺といった資料に驚かされる。廊下のスペースも民具などの展示に使われているのだ。民具はランダムに陳列されているものの、雑多な感じはしない。木の床がつやつやしていることからもわかるように、隅々まで手入れが行き届いて、展示されているのだ。

葛飾区教育資料館

民具がずらりと並んだ廊下に圧倒される


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木造校舎ならではのつややかな廊下も健在

教室では当時の授業風景が再現されている。このほか、教科書や学用品、文房具、さらに地元・葛飾で使われていた農具も展示されている。

葛飾区教育資料館

昔の授業風景を再現

痛ましい展示もある。対米開戦後の1942(昭和17)年4月18日、日本は米空母から飛び立ったドゥリットル隊によって、日本国内初の空襲を受けたのだが、その時に生徒1人が機銃弾の掃射を受けて死亡した。その際、廊下に付いた弾痕が改修工事の際に、切り取られて保存されている。

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アメリカ軍による日本本土初空襲の際の弾痕

教室の壁に展示してある「水元小学校のあゆみ」を読むと、大正時代にあって当地ではかなりモダンな校舎だったようだ。一部取り壊されたり、改修されたりしながら、1982(昭和57)年3月まで現役の校舎として活用されていた。

外に出ると、春の日差しが校舎をまぶしいくらい白く照らしていた。この校舎、当時はかなり目立ったことであろう。

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建物は葛飾区の文化財に指定されている

葛飾区教育資料館
住所 東京都葛飾区水元4-21-1
開館 9:30〜16:00(月曜、火曜、年末年始休館)
入館料 無料
交通 R常磐線金町駅からバス「水元小学校」下車
開館・閉館年 1983(昭和58)年〜2016(平成28)年
ワンポイント [追記]2016年3月31日をもって公開終了。葛飾区サイトによると、老朽化や耐震性能不足、入館者数の減少などの理由のため。収蔵品は、葛飾区郷土と天文の博物館で公開の予定。