竣工当時の姿で復活した、ミナトヨコハマのシンボル[日本郵船氷川丸]

日本郵船氷川丸

シアトル航路用に建造された「氷川丸」。全長163.3m、総トン数1万1622トン、船客定員289名

横浜・山下公園に浮かぶ氷川丸。1930(昭和5)年に北太平洋航路の横浜とシアトルを結ぶ花形客船として竣工し、引退後の1961(昭和36)年から山下公園に係留されている、ミナトヨコハマのシンボル的存在だ。

引退後は、ユースホステルやレストランとして使われていたが、近年、ランドマークタワーなど新手の観光スポットが脚光を浴びるにつれ、集客力が減退。ホラー・アトラクションのアミューズメント施設まで導入したが、退潮はとまらず、2006(平成18)年末で営業終了の憂き目を見た。


日本郵船氷川丸

第二次大戦中に徴用されたが、病院船に使われたのが幸いして撃沈されずに生き残った(しかし、3度触雷している)

その時、運営が横浜市から改めて、船の本来の持ち主である日本郵船に移管された。
日本郵船にとって、氷川丸は単なる豪華客船だっただけではなく、太平洋戦争で同社所有の大型船の中ではただ一隻沈没を免れたという、特別の想いがこもった船だった。

そのため同社は、ホラー・アトラクションやビヤホールなどに身をやつしていた氷川丸を10億円をかけて竣工当時の姿に改装、2008(平成20)年に「日本郵船氷川丸」としてリニューアルオープンさせた。日本郵船の意地が伝わってくる施設だ。

日本郵船氷川丸

竣工当時の資料を元にして、アールデコ様式の一等ダイニングルームや特別室などを再現している。写真は一等食堂

そのようなわけで、船内はアールデコ様式の一等食堂や特別室などを再現し、シアトル航路の外航貨客船として活躍した原点に還った展示になっている。なお、入館料は300円と、アミューズメント施設時代の800円を大幅に下回るお値打ち価格だ。

一等食堂では、調度品や食器などのほか、1937(昭和12)年に秩父宮が乗船した際のメイン料理とデザートの再現があり、テーブルには羊や野鴨のロースト、オニオンのクリームあえなどが並ぶ。

日本郵船氷川丸

1937(昭和12)年に秩父宮が乗船した際のディナーの再現

食堂入口の中央階段は氷川丸の見せ場のひとつだ。日本郵船では船名に神社の名を付けていたそうで、「氷川丸」は現・さいたま市大宮区にある氷川神社にちなむ。そのため、階段には氷川神社の神紋(八雲)がかたどられている。

日本郵船氷川丸

手すりの曲線が印象的に配された中央階段


日本郵船氷川丸

手すりには、氷川神社の神紋「八雲」がかたどられている

シアトルまでは片道13日間かかる。その間、一等船客には上質な船旅が約束されている。展示コーナーにある「一等船客のくつろぎの一日」というパネルによると、モーニングコーヒーの後に散歩。朝食後、デッキでゴルフ。昼食後には昼寝。上等なタバコを楽しみながら船内でカードゲーム、夕食後にはダンスパーティーに映画鑑賞。

日本郵船氷川丸

シアトルまでの13日間を洋上で過ごす。ゆったりとした時間が流れたことであろう。便によってはホノルルに寄港した

長の船旅に備えて、一等読書室も用意されている。国際航路だけあって洋書が圧倒的に多いが、『移民入国法令総覧』『加奈陀同胞発展大鑑』なる本も並ぶ。

日本郵船氷川丸

洋書が並ぶ、一等読書室の書架

一等社交室、一等喫煙所などの設備もあり、前者は女性、後者は男性が主に利用していたという。このほか、大人たちがディナーをゆっくり楽しめるよう、一等児童室(子どもを預かる託児所)も完備されていたというから、至れり尽くせりだ。

日本郵船氷川丸

ダンスパーティーなども催された一等社交室。一等のパブリック・ゾーンの内装はフランス人工芸家のマーク・シモン(1883〜1964)の手になる

そんな豪華設備が売りの客船であるが、現実は厳しい。一等運賃は片道500円。当時は1000円あれば家が建ったという。

日本郵船氷川丸

「三等船客は御遠慮下さい」。三等客が一等のデッキ部分に行くのにも、見学許可証が必要だった

展示コーナーには六分儀やシグナルミラー(信号鏡)、主要輸出品だった生糸などが。当時は生きた金魚も主な輸出品で、対して輸入品は塩鮭や生きたウサギ(毛皮用)だったというから、意外と生き物臭い。

ところで、船内を歩くと気がつくのだが、床が船の中側に向けてレンズ状にわずかに盛り上がっている。これは揺れる船上で歩きやすいようにしているのだろうが、時化のときは最大29度まで傾き、積み荷の金魚の樽が海へ落ちたという。グランドピアノが横転したこともあったそうだ。優雅なだけではないのだ。

日本郵船氷川丸

展示コーナーでは、戦前のシアトル航路時代のエピソードや資料が紹介されている。サンフランシスコではなくシアトルを選んだのは、ニューヨークへ生糸を運ぶのにシアトル経由の方が1日ほど早かったためという

一等客室は部屋によってそれぞれ調度品や雰囲気が異なる。ベッドの上でとぐろを巻いているのは飾り毛布と呼ばれ、ボーイが扇とか松を模しためでたい形に毛布を仕立てていったもの。国際航路だけではなく、ひと頃は青函連絡船などでも行われていた。

日本郵船氷川丸

竣工当時の一等客室の様子。客室内に立ち入ることはできないが、脇の観覧エリアからのぞくことができる

ひとつ、ふたつ、みっつと急な階段を3回ほど昇って、船の頭脳の操舵室へ。
神棚には氷川神社のお札が祀られ、船長室にも真新しい御神酒と破魔矢が置かれていた。モールス信号発信機もあり、実際に叩くこともできる。

日本郵船氷川丸

氷川丸の操舵室


日本郵船氷川丸

背後に氷川神社のお札が祀られた神棚が見える

興味深かったのは火災探知装置。ガラス箱みたいなケースに十数本のパイプが並んでおり、船内各エリアの天井にある吸入口に通じている。火災発生時には、パイプから煙が漂う。この発煙を目視や匂いによって確認することで、火災発生エリアがわかるというもの。竣工当時の最新設備ということで、アナログだけれどもハイテクである。

日本郵船氷川丸

古風な電話ボックスのような「煙管式火災探知装置」

観覧ルートは、操舵室から一転、船底にある機関室へ向かう。
機関室は4層に分かれ吹き抜けになっているので、上から見ても下から見ても迫力のある眺めだ。門外漢には、計器類やパイプの配管など、これらのアナログ技術の結集を造形美として眺めるので精一杯だが、工業エンジン系に詳しい方々には各々の機器がどのような役割を持っているのかもわかるのであろう。

日本郵船氷川丸

4層に分かれた機関室の下段から上段を望む


日本郵船氷川丸

デンマーク製の8気筒ディーゼルエンジン2基を搭載したエンジン部は当時のままに残されている

そして、船底に近い、機関室のそばにある三等客室。三等客室は一等などのエリアとは隔離され、食事も焼き魚などが出されたそうだ。しかし、航海中に仲良くなった船客が、給仕から果物をもらったり、じゃがいもの皮むきを手伝うことなどもあったといい、独特のアットホームな雰囲気もあったようだ。まるで寮生活か賄い付きの下宿みたいである。

日本郵船氷川丸

寝台がひしめく、三等船室

最後に隠れた写真スポットとして、屋外デッキを。氷川丸就航中は著名人がここでくつろいでる写真が多く撮られた。なので、ちょっと古めかしい服装と髪型でここで写真を撮り、モノクロにして、「これ、俺のひいじいさん」なんてアリバイ写真(?)も撮れる。

日本郵船氷川丸

一等船客のくつろぎの場であった屋外デッキ


日本郵船氷川丸

船の小窓から海を覗く時、海面に目をやってみよう。ときどき、ゆるやかな潮の流れによって、あたかも船が進んでいるかのような錯覚をおぼえることがある

氷川丸から横浜の港を眺めると、山下公園のすぐ向こう側にひときわ大きな桟橋の姿がある。これが横浜港「大さん橋」で、竣工は1894(明治27)年。その後改修・拡張されながら、現在も、税関や出入国管理、検疫施設などが設けられ、国際航路が発着している客船ターミナルだ。

氷川丸も就航以来幾度となく、このターミナルから発着している。氷川丸は大さん橋を望むここを安住の地として、母港の海に浮かんでいるわけである。

日本郵船氷川丸
住所 神奈川県横浜市山下町山下公園地先
TEL 045-641-4362
開館 10:00〜17:00(月曜[休日の場合は開館し、翌平日休館]、他臨時休館あり)
入館料 一般300円、小〜高校生100円
交通 地下鉄みなとみらい線「元町・中華街」駅より徒歩3分。またはJR根岸線関内駅より徒歩10分
開館年 2008(平成20)年4月25日。保存公開は1961(昭和36)年より
ワンポイント 船内には飲食施設はなし。飲料自販機があるが、飲み物はデッキ部分でのみ可能。また、徒歩15分の「日本郵船歴史博物館」では、同社の歩みや日本の海運史にまつわる展示がある(氷川丸とのセット券500円)。