江戸最古を誇る七福神[谷中七福神]

 七福神をめぐるにはどこの寺社からまわるのかよく考えた方がいい。なぜならば、それはフィナーレをどこで飾るのかということを決めることになるからだ。
 田端(東覚寺)から上野(弁天堂)にかけて点在している「谷中七福神」の場合、なぜか上野の弁天堂からスタートするように書かれているガイドが多い。

 上野という交通の便を考えてのことだろうが、これではゴールが田端になってしまう。
 田端の周辺は静かな住宅街。ゴールしたころにはきっともう夕刻だ。街灯がぽつんと灯るなか、北風に吹かれながら、田端駅に向かってとぼとぼと歩くエンディングになる。
 一方、弁天堂は不忍池の真ん中に建つお堂。参道には露天の出店が連なり、夕方でもなお初詣の参拝客で賑わっている。上野広小路の方面へ出れば、食事処や飲み屋にはことかかない。となると、どちらの方が七福神めぐりの達成を祝うフィナーレにふさわしいかはいうまでもない。
 というわけで、この七福神めぐりは田端からスタートしよう。

 福禄寿をまつる「東覚寺」は室町時代創建の古刹。普通、七福神というと本尊をさしおいてデカい顔をしているものだが、ここではもっと目立っている存在がいた。不動堂の前にいる一対の仁王像だ。姿も強烈だ。全身に赤い紙が貼られている。
 これは「赤紙仁王尊」と呼ばれ、身体の悪い部分と同じ箇所に赤紙を貼り、治ったら草鞋を奉納する。なぜ草鞋なのかといえば、仁王尊は病人たちのために東奔西走しており、さぞかし草鞋が必要であろうということからだそうだ。奉納されたたくさんの草鞋が、仁王尊の実力を物語っている。
 お寺の説明板によれば、1642(寛永18)年から露天に建っているとのことなのだが、赤紙に覆われてしまって肝心の仁王像を拝観することができない。正月の青空に真っ赤な紙が映えて、ちょっと現代アートのような存在になっている。

 2番手は西日暮里の「青雲寺」。東覚寺から歩くと1kmほど。西日暮里駅からも近いので、田端駅に戻って山手線を使ってもいい。鉄道などなかった江戸時代人の気分を体感したい人は、てくてくと歩いていこう。 正月らしく、植木もきれいに刈り込まれていて、散髪後のようにさっぱりしている。恵比須像を拝観すると、なんと胸に三菱のマークがついていた。つい、後ろにコンセントでもついてるんじゃないかと思ってしまう。

 次なる布袋尊の「修性院」は青雲寺のすぐそば。ただ布袋尊は開帳期間を1月1日から1か月に限っているようだ。
 江戸の頃、日暮里界隈は景色がよく1日中楽しめることから「ひぐらしの里」と呼ばれていたが、その地にあって「ひぐらしの布袋」といわれていたのが、この布袋尊だ。日暮里の顔役といってもいいくらい、迫力ある顔をしている。開帳期間におでかけになられたら、ぜひ拝観してみてほしい。「横山ノックに似てた」「金丸信だった」「スターウォーズのジャバ・ザ・ハットだった」と同行者各人各様の感想。もしかしたら拝観する人の心を見透かして変化(へんげ)するのかも知れない。

 さて、この七福神には「経王寺」と「護国院」の2か所に大黒天がいる。じつは、谷中七福神は江戸最古といわれるだけあって、その変遷も激しい。さきの青雲寺が、恵比須に加え、大黒、布袋をも独占していたこともあるし、まったく別の寺が大黒天を独自候補として擁立していたこともある。
 本家争いをしているわけではないのだろうが、現在のパンフレットなどには護国院だけが記されていて、経王寺が抜けているものが多い。山門をくぐるとこぢんまりとした境内に青空が広がる。「七福神」ののぼりもなく、山門脇に「大黒天」の看板がささやかに立つ。

 ところで、この山門には銃撃のあとがある。一見、節穴にしか見えないが、幕末の上野戦争で官軍に撃たれた弾痕なのだそうだ。
 年末年始は休みで七福神詣での人にあまり媚びない「朝倉彫塑館」の前を通り、寿老人を祀る「長安寺」へ。さして広くない境内が御朱印を求める人でごった返している。

 長安寺の前後から我々は、谷中の中心部へと突入してきている。谷中といえば、今でこそ古い家並みと情緒ある坂の町というイメージだが、それは『谷中・根津・千駄木』(通称:谷根千)という地域雑誌が20年間情報を発信しつづけてきたからの話で、それまでは、多くの人にとってはただの墓の町という印象しかなかったはずだ。
 そのの中心でもあり、本来の谷中のランドマークだったのが、毘沙門天を祀る「天王寺」。日暮里の駅を見下ろすように建っている。かつては広大な境内を誇っていたが、今はその大半が「谷中霊園」になった。

 その霊園を突っ切りながら、大黒天の「護国院」へ。その道すがら、銭湯を改装してギャラリーにしたという「スカイ・ザ・バスハウス」がある。こちらも残念ながら正月は休みだが、外からのぞいてみるのもおもしろい。
 言問通を渡って上野へ。護国院は東京芸大の北側に位置している。「大黒天初詣で」という手書きの看板がお出迎え。お堂の中には小振りの大黒像と、その後ろに大黒天画像が。これは徳川三代将軍家光の奉納と伝えられている。

 最後の弁財天は「不忍池弁天堂」。不忍池に浮かぶ小島に建つ。江戸初期の1625(寛永2)年に寛永寺が開かれた際、不忍池を琵琶湖にみたてて、小島に弁財天を祀ったのが始まりという。この島は琵琶湖に浮かぶ竹生島というわけだ。
 八角形のお堂に参拝して、この七福神めぐりが無事に終わるわけだが、もしこの時に、まだ時間に余裕があるのであれば、いろいろなオプションが付け加えられる。
 近年、正月開館などをして意欲的に集客を試みている「東京国立博物館」などに立ち寄ってもいいし、もうちょっと参拝に(?)を出したいのであれば、上野公園内にある「上野大仏」(写真)を詣でよう。関東大震災で崩れて、現在は顔がパネルにはめ込まれているだけだが、かつては日本三大仏の座を争った。正月三が日を過ぎていたら、不忍池のほとりの「下町風俗資料館」も開館している。館内には明治から大正にかけての長屋や商店が再現されているので、七福神めぐりで高まった下町ムードがさらに盛り上がるのは必定。
 このようにさまざまなオプションをチョイスできるのが、この七福神のもうひとつの魅力でもある。

谷中七福神
東覚寺(福禄寿) 東京都北区田端2-7-3
青雲寺(恵比須) 東京都荒川区西日暮里3-6-4
修性院(布袋尊) 東京都荒川区西日暮里3-7-12
経王寺(大黒天) 東京都荒川区西日暮里3-2-6
長安寺(寿老人) 東京都台東区谷中5-2-22
天王寺(毘沙門天) 東京都台東区谷中7-14-8
護国院(大黒天) 東京都台東区上野公園10-18
不忍池弁天堂(弁財天) 東京都台東区上野公園2