[感想後記]鏡の裏の世界へ/川崎市市民ミュージアム「古鏡 その神秘の力」展

川崎市市民ミュージアム「古鏡 その神秘の力」展

初公開100面を含む約200面の古鏡が展示される、川崎市市民ミュージアム「古鏡 その神秘の力」展(会期:2015年10月10日〜11月23日)

銅鏡というと、古墳の埋葬品というイメージがある。弥生時代に中国から伝来し、やがて国産の銅鏡(倭鏡)が誕生、古墳時代には広く日本各地へと伝わっていった。川崎市市民ミュージアム(神奈川県川崎市)の、企画展 「古鏡 その神秘の力」は、初公開100面を含む約200面の古鏡で、銅鏡の変遷やそれに託された世界観をたどっていく(会期:2015年10月10日〜11月23日)。

会場に入ると、川崎市から出土した三角縁神獣鏡(復元)が鏡面を表にして展示されている。銅鏡はいつも鏡背(鏡面の裏側)の紋様が注目されるが、本来はこちらの鏡面がメインなのだ(鏡だから当たり前なのだが)。この銅鏡は20%以上の錫と銅で鋳造されたという。銀色を帯びた光沢が印象的で、当時の輝きを追体験できる。


方格規矩四神鏡@川崎市市民ミュージアム「古鏡 その神秘の力」展

中央の□は地を表し、その周りに天を示す○が取り囲む「方格規矩四神鏡」。後漢(25〜220年)の頃に定型化したもので、玄武・青龍・朱雀・白虎が配置されている(会場の、撮影可の展示パネルより)

中国における鏡の出現は4000年前の斉家文化にまでさかのぼるという。姿見としての実用性もさることながら、太陽光を受けて光り輝くところに呪術性が見出されたのだろう。会場に展示されている、かなり初期の銅鏡のひとつである「幾何学紋鏡」(殷後期〜西周)にも、シンプルな放射線状の紋様の中に2体の人物像が小さく彫り込まれている。

漢代以降、鏡背には神仙思想など、その時代の世界や宇宙の構造を示した紋様が描かれるようになる。玄武・青龍・朱雀・白虎の四神からは方位や宇宙観を表していることがわかる。アルファベットのT・L・Vに似た図形もさかんに用いられ、天と地の支えや架け橋のようなものを意味していたことをうかがわせる。

連弧紋鏡@川崎市市民ミュージアム「古鏡 その神秘の力」展

後漢の「連弧紋鏡」。連弧紋鏡は日輪のイメージと重なるためか、古墳時代に好んで製作された。中国鏡では直径10cm代が平均だが、倭鏡では40cmを超す大型鏡も作られた(会場の、撮影可の展示パネルより)

当初、中国鏡を朝貢によって入手していたであろう倭(日本)は、古墳時代になると日本列島産の銅鏡(倭鏡)を誕生させる。古墳時代の倭人は、中国鏡に表現された宇宙観や思想性を完全に理解できたとは思えず(展示パネル説明文より)、紋様は、模倣を経て図形化し、やがて独自の道を歩み始める。

中央部の紋様が日輪をイメージさせる連弧紋鏡や、それに直線と弧線を組み合わせた直弧紋鏡などが好んで製作されたようだ。
極めつけの紋様が、四方に家屋のイラストを配した「家屋紋鏡」(奈良県佐味田宝塚古墳・古墳時代前期)と、奇妙な獣が取り囲む「鼉龍鏡(だりゅうきょう)」(奈良県新山古墳・古墳時代前期)だ。

前者は、竪穴式住居と高床式建築、平屋建物が4棟描かれている。これらが目的別(例えば王の住居、神殿、執務など)の建築物なのか、身分による建物の違いなのかは定かではないが、当時の建築物のバリエーションの豊富さがうかがえる。

後者の鼉龍(だりゅう)とはワニに似た空想上の動物のことだが、鼉龍を描いたという根拠があるわけではないそうだ。実際、ワニというよりはネコ顔の芋虫のような獣であり、現在ならさしずめ、ゆるキャラとか癒やしキャラと言われそうである。

大田区多摩川台公園古墳展示室

〔参考〕古墳石室での埋葬のようす。頭部の脇に銅鏡が見える(大田区多摩川台公園古墳展示室の復元展示より)

これら銅鏡の日本における歩みは、「ムラの鏡、古墳の鏡」コーナーで、神奈川県と東京都の弥生〜古墳時代の遺跡から出土した鏡をメインに、詳しく展示されている。

先にも書いたように、銅鏡というと古墳のイメージだが、実は半数近くが集落(ムラ)の遺跡から出土している。その出土場所は竪穴式住居や水辺が多い。銅鏡は住居の下に丁寧に埋納されている例もあり、鏡の神器としての性格を考えた場合、単に捨てられたものではなく、地霊の再生にかかわる呪術的宗教儀礼と考えられる(展示パネル説明文より)という。

また、同じ古墳でも副葬されている鏡の質や大きさがはっきりと異なることがあり、埋葬者のランク付けが鏡でもなされていることがわかる(例えば、白山古墳〔川崎市幸区〕では、前方後円墳の方墳と円墳部分にそれぞれ木棺があったが、円墳部分の埋葬者の方が明らかに鏡が立派であった)。

なかにはわずか面径3.3cmという、小型なうえに紋様もほとんどプレーンで簡略化された鏡もある。これなど、中央政権の支配が行き渡り、埋葬者のランク付けがかなり細分化されたことを示唆するのかもしれない。

このほかにも興味深い展示品が多い。
東日本最古級の「弥生時代小形倣製鏡」(面径5.7cm)からは、古墳出現以前に銅鏡が出まわっていたことがわかる。
古墳から出土した銅鏡には、毛髪がついたまま見つかった鏡もあり、副葬する際に銅鏡は頭部のそばに置くのがルールだったのかもしれない。また、布に包まれたままの状態で出土した鏡からは、副葬の作法が推定できる。鮮やかな赤色を帯びた鏡もある。墓に使われることが多かった朱が付いた物であるようだ。

さて、中国の思想の変遷を受けて銅鏡の紋様も変化してきたわけだが、618年に唐が成立すると、紋様が劇的に変化する。唐代ではそれまでの世界や宇宙の構造を示した紋様から、西方起源の珍奇な動植物を配した「海獣葡萄鏡」が出現する。いかにも唐代のシルクロード交易を彷彿とさせる紋様である。世界観や宇宙観を描くスタイルから、理想郷を描くスタイルにかわったとも言えるだろうか。

やがて、日本も12世紀の平安時代になると、それまでの同心円状に紋様を配した構成から離れ、二羽の鳥と秋の草を描いた「秋草双鳥鏡」が登場する。これは平安貴族の女性が、みずからの姿を鏡に映し込め、それを身代わりとして(展示パネル説明文より)女人禁制の霊場に奉納したものであると言われている。

と、ここまで展示を見てきて、はたと気づいた。これは手鏡の裏面ではないか!
現代でも鏡の裏面には、鎌倉彫や蒔絵など、様々な装飾が施される。

かつては呪術と連動したであろう世界観を描いたが、平安時代以降、その世界観は絵画のように描くことで代用されるようになった。
現在の手鏡に多い蒔絵の花鳥風月も、理想郷あるいは心の落ち着く世界を描いていると考えれば、それがなぜ鏡の裏に描かれなければならなかったのかがわかる。

鏡を呪術に用いる方法は忘れてしまった我々であるが、鏡の裏に世界を描くことだけはやめなかったのである。
さらに、和製ホラー映画や怪談話でバックミラーや姿見、洗面台の鏡が出てくるシーンを思い浮かべればわかるように、我々は鏡への畏怖というのを依然として持ち続けている。

現在の我々が持っている「鏡」のイメージは一体どこから来たのか?——そういうことを考えながら観覧してみると、「銅鏡」をより興味深く感じることができるだろう。
そして、家や実家などにある手鏡を、祖父母の代くらいからある物も含めて、あれこれとひっくり返してみたくなるかもしれない。

※銅鏡に関する記述は、展覧会のパネル説明文及び同展図録を参考にした。

川崎市市民ミュージアム「古鏡 その神秘の力」展
住所 神奈川県川崎市中原区等々力1-2 等々力緑地内
TEL 044-754-4500
会期 2015年10月10日〜11月23日
開館時間 9:30〜17:00
休館日 月曜日(祝日の場合は開館)、祝日の翌日
観覧料 一般500円、高〜大学生400円、中学生以下無料
交通 東急東横線・JR横須賀線武蔵小杉駅よりバス10分
ワンポイント 会場内は撮影禁止。但し、一部のパネルのみ写真撮影が可能。