[今日は何の日]モース、大森貝塚を発見

大森貝塚遺跡庭園

現在、大森貝塚は遺跡庭園として整備され、JRの線路脇に記念碑が立つ

1877(明治10)年のこの日、動物学者エドワード・モース(1838-1925)が、汽車で横浜から新橋へ向かう途中、車窓から大森貝塚を発見した。モースは前日、アメリカから横浜港に到着したばかりで、この日は文部省に向かう予定だった。
汽車が大森駅を出発した直後、線路脇の切り通しに白い貝殻が露出しているのに気づいたという。

大森貝塚は上り列車の進行方向左手、つまり山側にあり、もし海産動物の研究者であるモースが「採集に適した海岸はないか」などと海側に座っていたら、この発見はなかったことになる。

エドワード・モース(大森貝塚遺跡庭園)

大森貝塚遺跡庭園のモース像

これだけ目立つ貝塚なのに、ほかに誰も気がつかなかったのだろうか?
意外にも、貝塚が古代人の遺跡だと分かったのは歴史が浅く、ヨーロッパでも1850年前後のことだった(磯野直秀『モースその日その日』)。
日本でも貝塚の存在は知られていたが、それが古代人の遺跡であり、学術的に意味をもつということは、モースによって初めて教えられたのである。そのため、モースは「近代日本考古学の父」とも呼ばれている。

大森貝塚遺跡庭園

大森貝塚遺跡庭園には、縄文土器などをモチーフとしたモニュメントが建つ

実はこの頃、シーボルトの次男で外交官のハインリッヒ・フォン・シーボルト(1852-1908)も大森貝塚に目を付けていた。だが、発掘作業とその研究成果の発表はモースと彼を招聘した東京大学が先行した。
もし、モースが海側に座っていたら、「近代日本考古学の父」の栄冠はハインリッヒに輝いていたかもしれない。