果たしてシトの正体とは?[尿前の関]

尿前の関

源義経に関する伝説の地でもある「尿前の関」

宮城県の鳴子温泉は、芭蕉が通った「おくのほそ道」沿いにある名湯として知られているが、同時に、江戸時代は仙台領と新庄領の国境だった。現在でも、山形県と宮城県の県境にあたっている。
そのような国境の町の面影を現代に伝えるのが、仙台領と新庄領の国境を固める関所跡である「尿前の関」だ。


尿前は「ニョウゼン」ではなく「シトマエ」と読む。
関所を模した門が立つほかは、蕎麦屋が1軒あるだけで、閑静な杉林に囲まれている。その蕎麦屋も「仙台から来て、週末だけやってるんですよ〜」とのことだったから、平日に来ると本当に何もない所である。

この関では芭蕉も取り調べを受けたという。直前になってルートを変えたために通行手形を用意しておらず、執拗な尋問を受けるハメになったそうだ(隠密と疑われたともいう)。芭蕉は相当難儀したそうで、このネガティブな印象が、『蚤虱 馬の尿する 枕もと』という恨み言(?)のような句を作らせたのではなかろうか?(この句についてはこちらを参照)

ところで、筆者は勘違いをしていて、芭蕉の句が元になって尿前という地名になったのだと思い込んでいたのだが、そんなことはなく、戦国時代以前からこういう地名だったのだ。

「尿前」の地名については源義経に関する伝承があり、義経の逃避行に同行した北の方(義経の正妻)が幼児を産み、この地で初めて尿をしたともいわれている。
一方、そうではなくて、難路と体調不良で北の方自身が苦しみのあまり尿をもらした(『鳴子町史(上)』1974年)という伝承もある。

この主語の違いは、この関の印象に大きな違いをもたらす。

まさか北の方も自分が失禁したことが、後世こんなに大きく喧伝されているとは思いもすまい。
まして、それが史実でなかったとしたら、下着を…じゃない、汚名を濯ぎたいと思うだろう。そんな彼女の無念を想ってか、観光パンフレットには、北の方失禁説はほとんど載っていない。

一体全体、シトマエシトの正体とは誰なのか?
それはこの、シトを吸い取った地面だけが、ひっそりと知っているのであろう。

尿前の関
住所 宮城県大崎市鳴子温泉字尿前
TEL 0229-82-2102(鳴子温泉郷観光協会)
入場 自由
交通 JR陸羽東線鳴子温泉駅よりタクシー10分または徒歩20分