『新版 対日関係を知る事典』—平野健一郎、牧田東一監修・平凡社

対日関係を知る事典

仕事で日本と各国の対外関係史を調べていて、いい本を見つけた。
図書館には世界各国の概況を記した「世界各国要覧」などがあるが、「要覧」ではここ数年のことしか書いていなかったりする。

しかし、この『新版 対日関係を知る事典』は、歴史時代から近年までの各国と日本との関係を俯瞰しており、意外な関係や共通点に気づかされることが多い。

例えば、イタリア。対日関係では、イエズス会から説き起こす一方、1990年代に小選挙区制を導入したイタリアの現代政治を日本と対比して描き(両国ともイギリスの選挙制度をモデルにした)、戦後の文化協定や姉妹都市などの関係にもふれている。

イランでは、正倉院の宝物から、日露戦争(イランの民族運動に大きな影響を与えた)、1990年代のイラン人大量来日、2004年のアザデガン油田開発まで総まくりだ。
インドネシアでは羽衣伝説や海幸・山幸の話(両国に類似した伝承がある)から始まるし、エクアドルでは、日本との関係がなんと紀元前3000年(!)から言及されている。

歴史叙述も平凡社ならではの手堅さが光る。
例えばペルーは、1872年、日本初の国際裁判事例となった「マリア・ルース号事件」(ペルー船に乗船した中国人苦力〔クーリー〕の解放問題)で対立したことに始まり、ブラジルよりも早い南米初の日本人移民の受け入れや、反日感情の強まり、1952年の国交回復後の好転、日系人のフジモリ大統領登場(1990年)による高揚とその失脚による対日関係の障害化と、複雑な変遷をたどる。

世界のなかでも、日本ほどチンギス・ハーンやモンゴル帝国に関する文学や映画作品が作られている国はないほど、日本の関心が高いモンゴルに対しては、長らく外交関係を築けなかった。戦後、日本と国交のあった台湾(中華民国)政府がモンゴルへの主権を主張していたことが大きい。1972年に米中関係が電撃的に正常化へ向けて動き出すと、外交政策に窮した政権末期の佐藤栄作内閣が台湾の反対とアメリカの牽制を押し切って、モンゴル承認(1973年)に踏み切っている。

イスラエルとパレスチナ自治区に関してはもっと複雑だ。

イギリスによるパレスチナへのユダヤ人のナショナル・ホーム建設を支援するバルフォア宣言(1917年)を受けて、日本はシオニズム(ユダヤ人の祖国再興運動)に賛意を表明しつつも、1920年には(バルフォア宣言への同意を)正確に記憶していないと述べるなど、数年後には、シオニズムへの賛同をすっかり忘れてしまっている。

戦後になって、1981年にアラファト議長が来日し、鈴木善幸首相が西側首脳としては初めて会見をし、さらに2006年には小泉純一郎首相がパレスチナを訪問するなど、日本のパレスチナ外交は極めて独自色が強い。一方で、1990年代以降、イスラエルとの経済関係の拡大強化が進んでいる。

これは、歴史を通してユダヤ人社会がほとんど存在しておらず、ユダヤ人社会との接触および反ユダヤ主義を直接経験することがなかった日本らしい動きとも言える。

このように、各国の対日関係と、それにともなう友好・対立の情勢は極めて複雑である。
最近は諸外国を「親日」とか「反日」と塗り絵のように色分けして、無邪気に喜ぶ傾向があるが、どの国も「親日/反日」の2色で分けられるものではなく、対外認識の仕方としては極めて未熟で拙劣なものだ。

日本との関係や、そういう感情が形成されるに至った来歴を知ることで、初めて、その感情の本質を理解することができるのだし、同時にその変遷も俯瞰しなければ、今後の情勢の動きを論じることもできないだろう。

ところで、「今どき紙の事典なんて、wikiがあれば十分だろう」と思う人もいるかも知れない。確かに、wikipediaに代表されるフリー百科事典は、ちょっとした調べ物の際に重宝する。だが、この事典にはwikipediaに載ってないことが満載なのだ。これは一体どういうことなのだろう?——その理由は、おそらく、この事典が二国間関係の事典だということにある。

wikipediaには英語版などで充実している項目を日本語に翻訳しているボランティア的な方もおられるというが、二国間関係は当事国の人が新たに書き起こさないと項目が充実しない。これはwikipediaの弱い所でもある。そのため、この事典はネットのフリー百科事典全盛時代でもおさえることのできない多くの情報を収録している。

海外ニュースに触れる時やスポーツの国際大会の際に、ぱらぱらめくるのもおすすめだ。筆者は、この事典を図書館で見つけたのだが、手元に置いておきたくて買ってしまった。新版は2007年の刊行であるが、ぜひ今度も改訂して版を重ねていってほしい。2020年の東京オリンピックを前に必携の一冊となることは間違いない。